HiromiVoice

声で人を豊かにする、をビジョンに掲げるナレーター酒匂ひろみの日記

「水曜日のエミリア」

 水曜日のエミリア (字幕版)


みなさんこんばんは、ひろみです。明日は関東でも大雪になるとか、なんだか一段と寒い夜に感じます。(いま窓のそばにいるせいもあるけど…)みなさまいかがお過ごしでしょうか。

さて、本日はおすすめの映画をご紹介します。

ついさっきお風呂で観終わったのですが、その名も「水曜日のエミリア」。

大好きなナタリーポートマン主演の作品です。

彼女の作品は目に止まれば必ずと言っていいほど観るので、こちらも時間があるときにとウォッチリストに入れていました。ただ、なんとなくポップなポスター(古い?)に「今は気分じゃないかなぁ」と1年くらいずっと避けていたのであります。ついこの間映画スイッチが入り、その勢いでやっとポチ。

もう、号泣しました。

 感動冷めやらぬうちにここに感想を書きたいと思います。ちょっとネタバレになるのでご容赦くださいませ。

 

産まれたばかりの娘の死から立ち直れないエミリア

職場で知り合い、不倫関係から子供を授かったことをきっかけに結婚したエミリア。しかしSIDS(乳児突然死症候群)によって生後数日の娘を失ってしまいます。娘はただいなくなったのだ、と淡々と現実受け入れようとしているエミリアでも本当は現実に何も向き合っていなかった…。というのがこの映画のポイントなのかなと観ていて思いましたが、実際に生後間もない我が子が何の予兆もなく死んでしまったら平静にいられるでしょうか。私だったら無理だと思います。何もなくなってしまったような、空っぽな状態で、現実を受け入れられなくてどこかに飛んで行ってしまうのではないだろうか。ましてや不倫中にできた子。愛し合って授かったと言っても世間の目から見ると略奪愛。それにより罰を受けたのではないか?と自分を責めたり、たとえそうでなかったとしても「自分の母乳がよく無かったのではないか」「着せた服が薄すぎたのか?」「抱っこに問題があったのではないか」ととにかく自分を責めまくると思うのです。そう考えるともう胸が苦しくって、今お腹に赤ちゃんがいることもあって冒頭から心がぎゅっとなりました。(後半は崩壊してしまいます)そんなエミリアと義息子、夫、前妻、エミリアの両親との関係が描かれている作品です。

 

懐かない義息子

娘を失ったエミリアに対し、わざとなのか何も考えずになのかは視聴者に委ねられますが、「ベビーグッズをEbayで売ろう。だって不用品でしょ」とか、心無いこと(にエミリアには聞こえてしまう)を言う8歳の義息子。仲良くしようとしてもちょっとしたアクシデントで仲良くなりきらない2人。事あるごとにエミリアの対応を前妻に報告する義息子。それによって罵声を浴びせられるエミリア。最初は「可愛くないこという子供だな」と思っていていた私でしたが、よく考えると彼はまだ8歳。そして親は離婚。妹は天国へ。きっと彼の心も想像以上に複雑で悲しみがいっぱいなはず。彼の言葉をどうやって受け取るか。それを考えさせられました。

 

優しい旦那も人間

弁護士なだけあったスマートでジェントルな夫。しかし、いつまでも態度を改めない妻・エミリアや、前妻との関係に疲れ果てついに彼もキレてしまいます。ちょうど今日

cakes.mu

を読んだばかりだったので、ここに出てくる旦那さんにリンクしてしましました。夫も一人の人間。幡野さんのお言葉を拝借すると、心が無限に広いのではなく、自らを削っているのだ。と。そして私の夫のことも思いました。一昨年、喧嘩ばかりして(私が一方的に彼を責めていた)とても辛い思いをさせていたこと。あのとき少しでも私の「はっ。これは私の問題だ。私が変わらなければならない。彼を潰してしまう」と言う気づきが遅ければきっと…と思うとゾッとします。苦笑

 

「私は悪くない」「いつものようにな」

映画の後半、エミリアが言います。「私は悪くない」。そしてつかさず優しい夫が「いつものようにね」と返す。ここに、映画の本質があると思いました。どんなに悲しいことがあったって、辛いことがあったって、結果を変えることも振り返ってやり直すこともできない。誰かを傷つけてもやり直すことはできない。失ったものは取り返すことができない。「私は悪くない」の一言は何も生み出さない。ふと、自分のことも顧みたシーンでした。そしてついに堪忍の緒が切れた夫。エミリアの謝罪を拒否し、ベビーグッズをエミリアに言われた通り、フリーマーケットサイトに出品します。(最終的には元に戻ったように思いますが、そこも視聴者の想像に委ねられているように思います)そこまで彼を追い詰めたエミリア。なんだか自分のことを振り返らざるを得ませんでした…。

 

立ち直れないのではなく、立ち直らない

確かに、エミリアはとても深い傷を背負っています。10ヶ月間大切に育てて、死ぬ思いで産んだ我が子がたった3日で旅たってしまうなんて、とてもじゃないけど受け入れられません。でもそれは、産んだ母親がいちばん悲しいんだ、私が一番辛いんだ、と思ったら違うのです。夫も悲しい。息子も悲しい。両親も悲しい。悲しみは、比べることはできません。比べるものでもありません。だからこそ、お互いがお互いを支えなくては慈しんで尊重して生きていかなくてはならない。そんなことをこの映画を通して感じました。エミリアが立ち直れないのは、彼女自身が立ち直ろうとしていないからなのです。

 

息子の描いた家族の絵

映画の中盤と最後に、息子が学校で描いた「家族の絵」が登場します。中盤では一瞬しか映らないのですが、それを観た前妻が怒って破ってしまうシーンが。と聞くとなんだかエミリアとパパ、自分の幸せそうな絵が描いてあるのかなと思いますが、実は絵にはパパと自分、ママが手を繋いでおり、空に天使になった妹、その隣に怒っているのかな?と言う雰囲気のエミリアが。これだけ見ると、息子はエミリアのことが嫌いなのでは…と思わせるのですが(私はそう感じました)、夫もエミリアも素敵な絵だとほめます。観終わったあと考えました。きっと彼にとって、パパはエミリアの夫、ママは前妻、妹は天使、エミリアは妹のママ。そのままの現実を受け入れていたのだと。無理やり「お父さんの新しいお母さんだから僕のママだ」と解釈することもせず、一人の人間として受け入れていたのではないか、と。最後のシーンであります。「イザベル(亡くなったエミリアの妹)は僕の妹で、エミリアは僕の妹のママだから家族でしょう?」と。彼にとっての家族。8歳の男との子にとっての家族とは一体どんなものだったのでしょうか。そもそも、家族ってなんなのでしょうか?

 

家族になること、そして気がつくこと

この映画を通して感じたことは主に2つ。家族「である」のではなく、家族「になる」ことがどれだけ大変で愛おしいものなのかと言うこと。籍を入れたからって家族になるわけじゃない。子供が産まれたからって家族になれるわけじゃない。ましてやその子供が死んでしまったら?

そして「気がつくこと」。なんでもそうだと思うのですが、何かあった時「はっ、これは自分へのメッセージなのかもしれない」と捉えることができるかどうか悲しみに一通り暮れた後、周りを見られるかどうか。特に大切な人の表情やコンディションに目を向けられるかどうか。その気づきが、大切なのだと。当たり前のことかもしれないけれど、誰だって悲しい辛いことがあるとエミリアのように自暴自棄になったり、優しくしてくれる人を傷つけたりしてしまいます。一度や二度は仕方のないことだと思うんです。お互い様だから。でも「親しき仲にも礼儀あり」ではありませんが、どこかで「はっ」と気が付いて謝って改めることが必要。悲しみも苦しみも、一人で乗り越えられません。一緒に支え合って励ましあって時間と共に癒えていくものだと思います。だからこそ、手を差し伸べてくれる人がいるうちに、最低限立ち直らなくてはいけない。そこまでの力は、人間にはあるように思います。

と、私自身、育ててくれた家族そして夫との関係を省みる良い時間になりました。いつも温かく見守ってくれる家族、そして支えてくれる夫、ありがとう。

なんとなく映画の評価は低めですが、私は好きな作品でした!気になる方はぜひここからチェックしてみてください。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。また次回、お会いしましょう!