人をいたわるということ
夫の手が冷たいので、食後にマヌカハニー入りの紅茶をいれた。と言ってもティーパックだが。私はノンカフェインしかダメなのでハーブティを。
マヌカハニーはいろんな段階があって、高いものだと1万円くらいする。私は2000円くらいのものを購入したが、それでも蜂蜜の倍するのでとても奮発した気分である。
一人の時は純正ハチミツですら高いと感じていた。ホットケーキにはシロップでいいじゃないかと思っていたし、ヨーグルトにかけるくらいならハチミツ付きのギリシアヨーグルトひとり分買えばいいと思っていた。
しかし結婚して夫と生活するようになって、彼の健康が第一になり、同じ食事をとるので必然的に自分も健康的になってきた。
紅茶とハーブティを片手に特に何を話すわけでもなくソファーに座って少し足を触れているだけでなんだか満たされていく。別居していたときに求めていたことはこれだ。
カップル同士、言葉を交わさなくても肌と肌を重ねることで解決できることがゴマンとあると思う。女性が怒る原因なんて大したものではない。大抵は、寂しいか、生理前か、お金に余裕がないか、ではないだろうか。
愛があればお金は関係ないは嘘だと思う、という主張はどこでも聞くことだが本当にそう思う。大学時代に読んだ村上龍さんのエッセイでもそんなことが書いてあった。確か恋愛費用と言っただろうか。ピクニックにいくにもそこで飲むお茶やサンドイッチ費用はかかるわけだし、電車賃だってかかる。最低限、マネーは必須だ。
でもお金だけでは寂しくて死んでしまう。「情」がないと生きている意味がない。いたわれる相手がいないことは不幸である。
最近読んだ本に吉田修一さんの「女たちは二度遊ぶ」がある。その中の「どしゃぶりの女」に書いてある一節が好きだ。
毎晩、彼女のために弁当を買って変えることが、なりゆきから義務になり、義務から奉仕になって、奉仕からいたわりに変わっていったのだと思う。人をいたわるということが、こんなにも切ないことだと、もっと早く知っていれば、ぼくも仁ちゃんも、もうちょっとましな青春が送れたのかもしれない。
この話を読んで、いたわるという言葉が、響きが、とても好きになった。
私は今、夫をいたわっている。
明日も、明後日も、これからもずっと(おそらく)ね。