ナレーション業修行の道#13〜「間」、そして正解は自分で見つけるもの〜
皆さんこんにちは!ようやく紅斑が治ったと思ったら、今度は典型的な風邪を引いてしまった私。鼻声が否めず、声の仕事をする身としてはお恥ずかしい限りです。。皆さんはいかがお過ごしですか?
さて、今日は「間」について。
結論から言うと、「間」の取り方について答えはありません。ノウハウもなし。自分でその感覚を身につけるしかありません。
先日のレッスン時、とある原稿を読み録音を聴いた時「ややうるさく」聞こえました。それをKさん(社長)にフィードバックしたところ、それはなんでだと思う?と聞かれました。少し考えて、「モチベーションがコントロールできていなかった」と答えると、
「そうではなくて、【間】がなかったんだ、だから押し付けているように聞こえた」とのこと。
なるほど、と思い、間を意識してみるとたった1秒ほどですが収録時間が延びています。そして押し付けているように聞こえない。
トータルたった1秒ほどなのに、間を意識するだけでここまで違うのかぁと。
でも。ここで一番大切なのは
誰のための「間」なのか
ということ。
いうまでもなく、聴き手のため。聴き手が、紡がれた言葉を聴いて余韻に浸ったりイメージを膨らませたり、ドキドキ続きを待っていたり、様々な瞬間を感じて、その時間を提供する。いわば相手への気遣いです。
相手のための「間」。これって、営業トークも、恋愛も、同じかもしれませんね!
営業だったら、一方的にガァーッと喋られるよりも、理解できているか不明な点はないか(そもそもその話に興味を持っているか、前提条件を把握しているかも大事ですが)逐一でなくても確認して欲しいですし、
さらに言えば、
一呼吸置くことだけが「間」ではなく、置かないことも「間」です。
(いちいち「これ、理解できました?」って聞かれるのもストレスですよね)
そういう塩梅を、身につけられる人が伸びる人だと思いますし、結果良いナレーションができるのだと思います。
では、そういう塩梅はどうしたら身につけられるのか?
私が思うにこれは、
- 生まれ持った感性
- 経験によって培われる人間力
両方あると思うんです。
感性の観点からいうと、これはもうどうしようもないと思うんですね。周囲に敏感な人もいればそうでない人もいる。どっちが良い悪いとかではない(最低限の、人の顔色を察知するとか思いやりはマストだと思いますが)ので、「間」にしても、たくさん取る人もいればそうでない人もいます。タイミングや回数、いわゆる塩梅はその人それぞれで、それが結果「個性」になる。
経験によって培われる人間力でいうと、幼少期育った環境出会った人、家族構成などでも違いますし、思春期あった出来事、成人して自らの意思で成し遂げたことなどなど、人によって全然異なると思うんです。大切なのは、
自分なりの答えを、自分なりに見いだせるかどうか
だと思っています。
こういう文章の時、どういうテンポで間で読んだら聴き手が心地よく聞けるか。それはこれまでどんな人と出会ってきたかどんなコミュニケーションを取ってきたか、どんな失敗をしたか、どんな景色をみてどんな経験をしてどんな気持ちを味わってきたか・・・それら全てが「声」になり、「間」の取り方にも反映されると感じます。(そしてこれも個性)
企業に勤めている時にも常々感じていましたが、何事においても正解はないし、ということは正解になるパッケージも方程式もあるわけがないんです。
でも、正解に近づけるために何が必要で、何をどう実行して、失敗して、そこから何を学んで自分の「解」を見つけるか。
それが何よりも大切です。
少し話はそれますが、Kさんは若い時役者業もしていました。業界を何十年も知っている人なのですが、
最近は個性のない女優や歌手が多い
と言っていました。いつも時代も「最近の若者は〜・・・」と言われるものではありますが、そのあと続いた言葉になるほどと思いました。
最近は養成所でも、型から教えられる。でも違うんだよなぁ、昔は付き人とか下積みを経験して、人間関係も自分で学んで、技も自分で盗んできた。だから昔のアイドルって今と違って個性があるでしょう?歌い方も見た目も。そういう下積みが個性になるんだ。
と。
確かに、養成所のみならずこれは最近の風潮かもしれません。
なんでも「ノウハウ」「教科書」「パッケージ」化されていて、あたかもそれさえ読めば実践すれば正解になる的な情報が氾濫しているような気がします。
その情報が嘘だとか役立たないとか言っているのではありません。何も知らない状態、あるいは自己流にやっても実は遠回りしている時なんかは有益な情報や著名な人の言葉や情報を参考にすることはとても有益だと思います。私もサラリーマン時代は「聞いた方が早い」「真似た方が早い」と思って実践してきました。
大切なことは、目的に向かう一つの手段としているだけであって、手段を使うことがゴールではないということ。そして手段は使ってみて失敗して自分のものにして初めて本当に意味の「手段」になるということを理解することだと思います。
ナレーションも同じです。
そもそも、生まれ持った声帯も違えば歩んできた人生も違う。その人が一流になるための「型」なんて用意されているはずがありません。
その「型」「正解」は自分で見つける、築く。
だからこそ、面白いなと思ったりします。でもそのためには、日々の練習の中で「具体的」そして「客観的」に、課題と自己評価が見えないといけないんですよね。(長くなるのでこの話はまた今度)
私は私なりの、正解を見出して日々引き続き鍛錬していきます!それが人生を充実させてくれるということもわかっているので、諦めず、くそまじめになりすぎず笑、頑張ろうと思います。
それでは、また^^