ナレーション業修行の道#8〜「自分がある」とは〜
こんにちは。一気に寒くなりましたね〜。連休は紅葉を見に行った方も多いのではないでしょうか?私は体調を崩しほぼ外に出られませんでしたが、昨日近所を軽く散歩したら慎ましい紅葉を目にしました。きっと30メートルもない距離に佇んでいた紅葉でしたが癒されました!アイキャッチは、その時みた紅葉をスケッチしたものです笑
さて。本日はナレーション業修行の道#8、「自分がある」とは?
本格的にナレーションと向き合ってちょうど半年が経ちました。下手ではないけどまだまだ素人、と言ったレベルが続いている(と言われる)私。全然喜ぶことではないのですが確かに、下手なりに向上している感覚が5ヶ月くらいまでありました。
しかし!
6ヶ月目くらいに入ってから、違う感覚にずっと囚われていました。
言葉にするならば、うーん何だろう。
「芯がない」感じでしょうか?聞いてても、楽しい楽しくないとかうるさいうるさくない以前の問題で、ふにゃふにゃに聞こえるんですよね。
それは、声の出し方=上半身を使えていないからだ、と理解し修正しても、なんか微妙。
モヤモヤしたままレッスンに行くと、ひとこと社長からズバリ。
「自分がない」
と。
えっ、でも自分って前に出しちゃいけないんじゃないの?ナレーターは言葉の意味を紡ぐのが仕事だから・・・と思いましたが、
「言葉を紡ぐ以前に自分がないと意味がない。自分があるから相手に紡ぎたくなるんだ」
と。
えぇ〜。わぁ、勘違いしていた私。
振り返ってみると、上手くならないように、変な小技を身につけないように・・・が先攻しまくって、とにかく自分を消す、黒子に徹する方向で鍛練していました。
だから、芯がないように聞こえたのか、とガッテン。
では、「自分を持」ってナレーションするにはどうすればいいか?
気持ちを作る?No no、それは一番ナンセンス。
じゃあ自分の意思を持って表現する?No no、それは表現の一つであってベースやることではない。
それは、
- 状態を作り
- 「自分」が背中に付いている感覚を持って
- 声を発すること
1については、上半身を解放すること。
特殊なのが2です。これはテクニックというよりも感覚。脳に司令するのではなく、背中から「自分」が声を出しているんだという意識を持って行うこと。感覚的ですが、全く違った声が出ます。
3は1と連動しますが、丹田を意識して息をするところに声を乗せるだけ。
この状態がベースであって、表現はこのうえに乗ってきます。
ベースを私なりにまとめました。
- 「自分」を背中に抱える
- 上半身を解放する
- 文字を理解する
- 聞き手の気配を察知する
- 意味を伝える
上記の順のように、表現者にとって1が一番大事だと思います。
ですがこれまで社長が声を大にしなかったのは、1を勘違いする人が多いからだと思います。自分をだす=気持ちを作る、のような。
今はその違いがはっきりわかります。理解する順も、大切なのですね。でも、もっと早く気づきたかったし指摘されたかった!急ぎは禁物とは言いますが、たけのこのようにぐんぐんと成長したいです。
それでは、また!