HiromiVoice

声で人を豊かにする、をビジョンに掲げるナレーター酒匂ひろみの日記

性のお話 #2 ~母への移行期「マトレセンス」~

f:id:aoioilove:20210201115356j:plain

 *こちらの内容は音声でもお聴きいただけます。

 

産後うつかな?と不安になった産後

もうすぐ産後1年なる私。振り返ってみると、産後1ヶ月は特に情緒が不安定で、初めてのことに戸惑い、我が子を過剰なほどに心配し、ハラハラしっぱな毎日でした。

産後のママの状態について、

「ホルモンの関係で旦那さんが嫌になる」とか「子供を守らなくてはいけないという本能から過敏になる」

という一般的な?情報は持っていたものの、いざ産後を迎えるとイメージとは違う感覚に戸惑いました。具体的にいうと、

  • 過剰なくらい不安になる
  • 母親になる自信がなくなる
  • 母親になる心構えができていない自分に罪悪感を覚える
  • 赤ちゃんを愛おしいと思えない
  • 赤ちゃんの望んでいることが分からず余裕がなくなる
  • 母親に向いていないかもしれないと思えてくる

など。(妊娠前からあった症状もあります)

SNSをひらけば幸せそうなマタニティ姿のみなさん、産後のママさんが大勢目に入って、「自分はおかしいんじゃないか」と思った日も少なくありませんでした。(かくゆう私もそんな風に見えていたかもしれませんが)

でも実際は不安だらけ。出産した病院では産前産後の教科書的な物を購入したのですがそこには

◾︎心の変化

赤ちゃんを迎え、喜びや安心感の反面、疲労や育児への緊張感、ホルモンバランスの急激な変化によって、気分が不安定になりやすい時期です

まずは、体を休めることが大切です。育児の合間に、少しずつでも休息と睡眠をとりましょう。

 (2週間以上その状態が続けば診察を受けましょう)

と記載がありました。

確かに、書いてある通りなんです。でもおかしいのは「身体を休めていても」不安に感じること。そして3週間経つ頃には「魔の3週間」と言われる赤ちゃんが泣き続ける日々が待っているのでまたメンタルをやられてしまう。だから2週間で落ち着かなくて、「私、診察受けた方がいいのかな?」と思ったこともありました。かといって四六時中不安な訳ではなく、人と話したり、赤ちゃんの寝顔を見たり、甘いものを頬張ったりするときは気分が良いし、束の間の自分時間を持てると最高に幸せだな〜と感じるのです。

母親版・思春期「マトレセンス」

うつほどではないけど、覚悟していた以上に心配で不安で自信がなくて不安定だったあの時期はなんだったのだろう?と先日改めて考えていたところ、ひとつの動画に出会いました。

 妊娠中や産後の母親を対象にしている精神科医であるアレクサンドラ氏。多くの相談を受ける中である発見があったといいます。(以下、意訳です)

母親になることの幻想

多くの女性が 「育児を楽しめない」と電話をかけてきます。しかし彼女らは産後うつではなく正常な状態です。それを伝えても彼女らは安心することができません。なぜなら母親とは「幸せに満ちていて、赤ん坊の求めることが理解できる存在」だと期待しているからです。

母親になるための移行期間

彼女らに安心してもらうため、それが正常だと言える方法を探しましたが医療用語には見つかりませんでした。病気ではないからです。2年かかって人類学の論文で発見しました。

「マトレセンス(母への移行期)」です。思春期「アドレセンス」と似ているのは偶然ではありません。どちらも身体やホルモンによって感情のあり方や世の中の適応の仕方が大きく変わる時期をさします。

 

病気ではないことを理解する

トレセンスは病気ではないけれど、医者が人々にそのように教育しないために産後うつと混同されることがあります。もしトレセンスが自然な過程だと知っていたら、彼女らはこれほどに孤独感や罪悪感などを感じることはないでしょう。産後うつの割合も下げることができると思っています。

対話による治療を

このマトレセンスの捉え方を変えるのであれば女性たちは自分たちのマトレセンスについて他のお母さんたちや友人と話してみてください。パートナーがいればぜひ話してください。そうすることで周りもサポートしやすくなります。

自分のためだけでなく、子供のためにもなる

マトラセンスを理解して語ることは人間関係を良好に保つだけではありません。自分自身のアイデンティティを切り離して残すことは、子供にも自分のアイデンティティを育むための余地を与えるということになるのです。 

「大丈夫だよ」「普通だよ」が欲しかった

動画を観て「あの時の私の状態はまさに”マトレセンス”だったんだ!と今更ながらに安心しました。アレクサンドラ氏も述べているように、予め知っていればあれほど罪悪感を感じたり落ち込むことはなかったかもしれません。ググっても出てくる情報は「ホルモンバランスの変化によるもの」でそれはそれで「私のホルモンバランス崩れすぎてて、、もしかしてうつ?」と不安になってしまっていたのを思い出します。私だけかもしれませんが、産後かけて欲しかった言葉は本当にシンプルで

「大丈夫、大丈夫」「それが普通だよ」

という言葉。

実は病院でも不安定な様子を相談したことがあるのですが、その時は「精神科の先生を紹介しましょうか?」と言われ、逆に落ち込んだのを覚えています。受診して「あなたは産後うつではない」と言われたらそれはそれで安心したかもしれませんが、欲しかったのは

お母さんになる過程はみんなそうですよ。大丈夫です、少しずつお母さんになっていくから

という言葉だったんだなあと今となっては思います。

母親も、パートナーも、その周りの人も、みんなが知っておくべき

思春期、もう20年ほど前になりますが、あんなに荒れ果てた時期はなかったのではないかというくらい、何かにつけてイライラしたり、物に当たったり(タンスに穴を開けたこともありましたw)、一つニキビが治ったと思ったら翌日にはまたひとつ。(大切な日に限って鼻の下にぽつっとできるんですよね)息子もあんな時期が来るのかなと思うと今からハラハラしてしまいます。

それと同じ状態が、妊娠期〜産後の母親にも起こっている。産後のお母さんと話しているとよく「気持ちがついていかない」というセリフを耳にしますが、まさにその状態ですよね。ついていかなくて当然なのです。

こういったことを、母親だけでなくパートナーもその周りにいる人も、いや人類みんなが知っておくべきだと思います。「思春期が2回来るんだよ」って知ってたら心構えもサポートの仕方も工夫ができますよね。

トレセンス中のお母さん、そしてその周りの方々へ

今まさにマトレセンスの真っ只中にいるお母さんがいらっしゃったら、情緒不安定で当然だし、余裕がなくて当然で、それは時間とともに少しずつ剥がれていくものだから抗わずに時間が過ぎるのをぼーっと待っていてほしいな、と思います。

そして周りの方々へ。彼女が産前と様子が違うのは当然のことであって、悲しいことでもおかしなことでもなんでもありません。自分が思春期をどう乗り越えたか思い出してみてください。何もできなかったのではないでしょうか?溢れる感情を抑えることができず親や物に当たったり、訳も分からず涙が出たり、家出してみたくなったり。(思春期らしい思春期がなかった方もいるかもしれませんが...)同じ状態が彼女の中でも起こっています。

ここは一つ、今まで以上に温かい目で見守り、できることはサポートしてあげてほしいなと思います。

悲しい事件の背景を想像すること

また、もう一つ別の観点で思うことがあります。

もしマトレセンスを知っていたら、母親に誰でも急になれる訳ではないと知っていたら、物事の捉え方や見方も大きく変わるのではないでしょうか。

今も昔も、悲しい事件があとを絶ちません。先日もシェアしましたが、

このような辛い事件。もちろん誰かを殺めることは許されることではありません。けれどたった一人で荒れ狂うような感情と身体の変化に日々格闘し、サポートも受けられないような状況で、意識絶え絶えに出産する中で正しい判断をすることは容易ではありません

「鬼親だ」「最低」「人として終わっている」

などと罵声を浴びせる前に、想像することがたくさんあるように思います。

おわりに

世の中には分からないことだらけ

ノーベル化学賞を受賞された吉野彰さんが、記者会見で”世の中でわかっていることはほんの数パーセントに過ぎない(だからチャンスはたくさんある)”というようなことを話されていて(私の記憶が正しければ汗)今でもとても心に残っているのですが、本当にそうだなと思うようになったのは、妊娠・出産・育児を通してからでした。

悪阻がなぜ起こるかだって明確には分かっていないし、赤ちゃんが無事に産まれるか否かも、誰にも保証はできません。産まれてきた子供がどのように育つかだって、マニュアルもなければ何が正しいかもない。世の中の大抵のことはわからないんだなあと感じる毎日です。だからこそ適度に適当にやっていくのも大切だなと思う日々。

「知っている」ことが安心に繋がる

でも先日、初めて「マトレセンス 」という言葉に出会い、産後に感じた多くの不思議は合点しました。また、この言葉に出会ったからこそどれだけ自分が産後がんばってきたのかを改めて感じ、自分で自分を褒めたたえたくなりましたし、もっと言うなれば私の母がどれだけがんばってきたか、も感じるのでありました。自分にも、自分の母親にも、周りのお母さん達に対しても、感謝といたわりの感情がこれまで以上に溢れてきました

ホルモンバランスの関係、とか疲れなどの抽象的な言葉ではなく(それも正しいと思うのですが)、母親になる移行期間中なのだと予め知っていれば、もう少し落ち着いて対応できたかもしれないと思います。私だけでなく夫や両親を含めて。

当たり前のことを当たり前と思わない

これだけ時代が進み、誰でもスマホ一つで仕事ができるようになり(チャンスがあり)、国境を越えていつでも世界と繋がれる便利な世の中になったけれども、妊娠や出産、母乳や育児に関してはまだまだ知られていないこと、理解されていないことが多いのではないかと感じます。

それだけ、人が産まれることが自然で、出産したら母親になっていくことが当然で、親になれば育児はできていくものだと思われているのだと思います。

でも現実はそんなにスムーズに行きません。

スムーズにいかないんだよ、という事実だけでも知っておけば、小さな小さな赤ちゃんを抱いているお母さんの自転車を蹴って「邪魔なんだよ」と吐き捨てる人も、生後間もない赤ちゃんを置いて働きに出るシングルマザーに対して「信じられない」と批判する人も、少なからず減るのではないかと思う今日この頃です。

 

それでは今日はこの辺で終わりたいと思います。また次回、お会いしましょう!さようなら。

 

 

◇◇性のお話#1 ~日本と世界の性教育~◇◇
はこちらからどうぞ
(音声)
 

 

 

ある出産したばかりの女性が「私は育児が苦手で楽しめません 私は産後うつなのでしょうか?」 と電話してきました。私は産後うつの確認をしますが、診断結果はNO。それでも彼女は安心しません。彼女は言います。

「母になれば 満たされて 幸せな気持ちになると思っていました。本能的に 何をしたらいいか 自然にわかり、常に赤ちゃんを第一に 考えるだろうと思っていました」

と。

これは母への移行がどのようなものかについての非現実的な期待です。多くの 人類学から見る母親への移母この動画にもっと早く出会っていれば、 もう少し楽に育児に取り組めたの

【おすすめ本】2020年12月〜2021年1月に読んだもの

f:id:aoioilove:20210128120625j:plain


みなさんこんにちは、ひろみです。

今日は最近読んだ本のご紹介です。先日、こちらの動画でゆる〜く話したら

www.youtube.com

意外と反響がありまして、結構ニーズがあるのだなあと思ったのでブログにも書いておこうと思いポチポチしています。

一覧はこちら!YouTube内で紹介していない作品がひとつあります。一番最後の「おもかげ」です。とても良い小説でした。

 

「 82年生まれ、キム・ジヨン」チョ・ナムジュ

 韓国の女性アイドルがSNSで取り上げたことにより一気に有名になった本だそうです。昨年10月に映画化もされたようですね。

小説、というよりも、昔の韓国の様子、男女不平等の世界が具体的に淡々と描かれているのでまるで自分がその場にいてその時代の様子をまじまじと見せつけられているような感覚に陥りました。読んでいる最中はさほどだったのですが、読み終えると「衝撃的な余韻」とでも言いますか、もうずーっと心にズシッと残っているんですね。

内容はあんまりいうとネタバレになるのでこの後もちょこっとしかお伝えしませんが、1歳の母親であるキムジヨンさんがある日突然誰か(身近な女性たち)に乗り移られたかのような身振り口調をし出すところから始まります。その後場面はキムジヨンが生きてきた幼少期から社会人になるまでの描写に変わるのですが、いかに女性が不利な立場でがんばって生きてきたか、が淡々と静かな描写にも関わらず、ズシッとジーンと、ジワーっと心に入ってきます。

時代は確実によくなっている。読み始めた当初はそう思いましたが、終盤になってくると「まだまだ全然だな」と思いました。私自身現状で「だいぶ社会の価値観は変わったし、みんな生きやすくなっている」と満足?していることに気づかされました。

仕事も結婚も出産も育児も、どうして女性が諦めなくてはいけないの?

この質問に答えられる人はいないのではないでしょうか?だって諦める必要は本来はないのですから。

身体の作りが違うから、完全なる男女平等はあり得ないと思います。

「女性が活躍できる社会を唄うんなら、男性と同じくらい頑張れよ」

そんな声が聞こえてきそうな現代。そういうことじゃない。そんなこと言ったらキリがない。お互いの違いを尊重することから始めないといけない。でもその違いが何なのか、教育もされない我々に理解できるはずがありません。女性が動きやすい世の中に、いや、女性だけでなく自分らしく生きられる世の中にするために、まだまだやれることやっていかなければならないことがあるなと思い知らされました。

私ができることは僅かですが、自分たちの未来のためにそして子供達の未来のために。やって行こうという気持ちをもらいましたね。

 

「JR上野駅公園」柳美里

 全米図書賞を受賞されたこの本。NKHの夕方のニュースで特集をされていて、読んでみたい!とすぐさま書店へ向かいました。

読んだあと、とっても寂しい気持ちに包まれました。

1933年、高度経済成長の最中産まれた不運な主人公。福島県から出稼ぎに上京し、家族のために働き続け、定年後自らホームレスになる...。華やかな世界の裏側にどんな世界があるのか、どんな人たちがいるのか、家をなくす人々はどんな人生を歩んできたのか。

光の影を「想像すること」。今あることの裏側ってどうなっているんだろう?と気にかけること。その積み重ねが社会が本当の意味で「豊かになる」ことなんだろうと思いました。

結末は読者の想像に委ねられています。みなさんはどう想像されますか? 

 

「運命を変える鏡の本。」鎌田聖菜

 筆者の思いがぎゅっと詰まった優しい本です。

鏡をどう見るか、どう使うかという解説本って私は初めてでした。鏡学カウンセラーである筆者が、ヒト・モノ・コトという3つの鏡を通して自己を知り、運命を変えていく...一見スピリチュアルに思う方もいらっしゃるかもしれませんが、とても実践的で説得力のあるアプローチです。筆者の聖菜さんはとっても美しく、まるで陶器のようなお肌!なのですが、こんな風に捉え、見つめていたら美しくなるだろうなあ...と思うほど(彼女のようになれるかはわからないけどw )、自分自身をうまくコントロールする秘訣が詰まっている本でした。

何かにつけて不満をいいがち、肌荒れや体型が気になる、鏡を見るのが苦手、という方には特にお手にとってみていただきたい一冊です!

 

「原因と結果の法則」ジェームズ・アレン

 いわゆる自己啓発本なのですが、これまで読んだどの自己啓発本よりも断定的で、ジェームズアレンには見えないものが見えていたんだろうな、とちょっと霊的なものを感じました。

「宇宙はつねに公平」

「喜びは正しい思いの結果であり、苦悩は誤った思いの結果」

とし、気高く生きること、努力し続けること、穏やかでいること。それらが大切であるということはほとんど誰でもアグリー(agree)だと思いますが、改めてこの本を通して考えてみると、できていないこと、継続できていないことがあるなと痛感しました。

ジェームズアレンがどんな人だったか、にも興味が湧きましたが、残念ながら彼に関する情報はほとんど残されていないんだそうです。しなしながらお父様の事業失敗やそれによる中学退学など辛い過去から、彼自身が体験した全てが詰まっているのだろうと思いました。

何度も読み返すべき本だと思います。

 

「おもかげ」浅田次郎

 これはYouTubeでは話していない本です。(収録時はまだ読んでいる途中でした)

大好きな浅田次郎さんの最新作です。おもかげ。もう最初から泣いてしまいました。最初は全然何も話が展開していないのに、なんでしょうね。きっと主人公には苦労があって、頑張って頑張って頑張ってきた人だったんだろうという予兆があって、胸がキュッとなったんです。たった数ページでその雰囲気を味わさせる浅田さんの文才。さすがだな〜と思いながら読み進めました。主人公は親を知らず施設で育った65歳の男性。定年パーティの夜に電車の中で倒れ意識不明の重体になってしまいます。そこから始まる不思議な体験。

「あなたはよくがんばったわ」

というセリフが何度か出てきます。「がんばったね」「よくがんばった」こう人から言われるだけでホロっときてしまう人は、きっと本当に歯を食いしばって走り続けてきた証拠。この御時世、みんなそうだと思います。未曾有の中よくがんばっている。主人公とは全く違うシチュエーションだけれども、このセリフに何度もグッときてぽろっとした私。

また、誰しも何かしら親とのしこりがあるものなんだろうなと思いました。昨年読んだ本に、本田健さんの「30才でしたい17のこと」という本があるのですが、その中に「親と和解する」という章があります。読むと確かになあと納得なのですが、誰でも必ず少なからず親への思いがあってしがらみがあってしこりとなっていることがある。それは認めてもらいたかったとか愛されたかったとか、もっと自由にして欲しかったとか、親自身が人生を楽しんで欲しかったとか、色々です。でも根底には「ありがとう」って素直に言いたいんじゃないかなと思うのです。

「おもかげ」の主人公は顔くらい知っておきたかった、恨むべき相手も知らないなんて、と度々述べていますが、最後にその思いがしこりが溶けていく...。

現実にはそんな綺麗にガラッと気持ちは変わらないのかもしれないけど、でも子供っていつまで経っても親が気になるし、親をそして自分を正当化できる理由を探しているような気がします。

そしてもうひとつ。

今日も悲しい事件がありましたが、

 一人でお産をすること。その後死亡させてしまうほど追いつめられること。親になりきれず虐待してしまうこと。物質的に豊かになった今でも昔と変わらず、存在しますよね。

これは個人の問題ではなく、社会の問題です。母も子も、明るい未来に向かっていける方法がある、そしてそれを知っている、選択できる社会であるべきだと感じました。小説の中のお母さんは一生懸命考えてそれを選択してくれた。それがどれだけ勇気のいることだったのか、主人公に響いたからこそ許すことができたのでしょう。

私もちょうど1年ほど前、初めての出産を経験したので、どれだけお産が怖くて痛くて奇跡で、産後どれだけ辛くて痛くて不安だったか想像すると、涙が止まりませんでした。

いろんな涙が流れた作品「おもかげ」。ぜひ、みなさんにもお手にとっていただきたいです!

 

さいごに

とまあ、つらつらと感想とともにご紹介させていただきました。いかがでしたか?

書店に行くとついつい5冊は買ってしまう私。なぜか図書館で借りるより読み進められるし、部屋にお気に入りの本があると心が落ち着くから不思議。本は心の友と言いますが本当にそうだなと感じる今日この頃です。

著作権の関係で限られた話にはなりますが、YouTubeで読み聞かせもしています。

www.youtube.com

ご興味ある方はぜひ聴いてみてください!

 

それでは今日はこの辺で。またお会いしましょう!さようなら。

 

 

 

トライアングルの法則

f:id:aoioilove:20210126130720j:plain


昨日、とても良い話を聞いたのでその話をします。

相手に合わせるよりも頂点を目指そう

お話はこちらの動画から拝聴しました。(最近私がはまっているYouTuber、Narumi Shikiyaさん)

 

www.youtube.com

 

失恋からどう乗り越えたか、というお話なのですが、その中で出てくる

トライアングルの法則

がとても納得でした。

 

動画をご覧いただければより分かると思うのですが、簡単に言うと

自分を高めれば高めるほど、自然と素晴らしい人に会うことができる

というもの。

 

簡単に説明します。

自分が三角形の底辺にいるときは左右の点まで距離がありますよね?その点(角といった方がわかりやすいでしょうか)に行くには相手の方へよっていかないといけない。これが仮に恋人だったり好きな人だったら、相手に合わせるという事になります。

 

恋は盲目とはよく言ったもので、渦中にいるときは相手に合わせることも幸せに感じてしまったり、傷ついていても知らん顔してみたり、我慢することが自分の使命だと勘違いしてしまったり。相手に合わせることがどれだけしんどいことなのか、気がつかない時もあると思います。

 

でもこれを続けている限り、仮に別の人を好きになっても今度は反対側の点へ向かうだけなので、合わせる行為自体は変わりません。

 

こんなことを繰り返すよりも、頂点を目指して努力すればそこにぴったり合う相手が来るものだよ、とNarumiさんのお母様は教えてくださったそうです。(なんて素敵なお母さんなんでしょう!私も息子にこういうことを言ってあげられる母親になりたい!)

 

ウィルスミスの言葉

また、動画内のコメントにも素敵な言葉がありました。

f:id:aoioilove:20210126124913p:plain

人を追うな。自分自身でいるんだ。努力して自分のことをとことんやるんだ。そうすれば、君の元に来るべき、ふさわしい人が現れるさ。

 かの大スター、ウィルスミスの言葉だそうですが、とても心を打たれました。

 

「自分自身でいる」ってすごくすごく大切なことですよね。

恋愛では特に気がつかないこともあるけれど、「何か寂しい」「何か苦しい」「何か悲しい」少しでもそう感じるのであれば、それはきっと自分自身でいられていないというサイン。他にふさわしい人がいるよ、というサイン。

 

リンカーンの言葉 

さらに、私がナレーターを志した時、父親にこんなことを言われたことがあります。

I will prepare and some day my chance will come.

「準備をしておこう。いつかチャンスは訪れる」これはリンカーンの言葉だそうです。

 

恋愛でも仕事でも

いずれも、

まずは自分自身を大切にして然るべき努力をしろ。そうすれば自ずと良い人(チャンス)がやってくる

と言っていますよね。

 

動画では恋愛の話と絡めてトライアングルの法則を説明されていますが、仕事でもなんでも同じことが言えると思います。

 

 

雑音や雑念に捉われず、自分を大切にして努力し続ける

そうすれば自然と道は拓く。

 

恋愛では相手、仕事では周りの評価だったりライバルのプロダクトだったり気になる目ってたくさんあると思います。

 

でもそうではなくって、ベクトルを自分の向かうべきこと・やるべきことに向ける。

そのための努力をし続ければ自然と周りの景色が変わっていくものだと、教えてくれています。

 

もちろん努力の仕方は大きいと思います。間違った方向に努力していたら勿体無いので、そこは信頼できる師匠を見つけるとか工夫をした方がいい。

 

ですが!

 

一度これだと決めたなら、変わりたいと本気で思うなら、違うステージに向かいたいと思うなら、あとは頑張るしかないですよね。

 

よし、がんばろ。と改めて思わせてもらった時間でした🙏

 

おわりに

いつもついつい意識高い系の話になってしまって恐縮です。笑 

今日も最後まで読んでくださったアナタ、いつもありがとうございます。アナタはアナタの道を、私は私の道を、それぞれ一歩一歩進んでいきましょうネ!

 

それでは今日はこの辺で。また次回お会いしましょう!さようなら。

 

in the long run(長い目で見れば)

f:id:aoioilove:20210124132958j:plain

 

突然決まった引っ越し。蓋を開けてみたらラッキー続き

昨年末に引越した私たち。事情があって急遽決まった引っ越しでした。

 

育児のことを考えて、つわりの中息絶え絶えになりながら引っ越したお家はたった1年3ヶ月しか住まず。正直「またか...」とため息が漏れそうになったけれども、ここは1日も早く動いた方がいい!と私の直感が働き、引っ越しを決意した3週間後には本契約を結んでいました。

 

何も縁もないこの土地に決めたのも直感。様々な制約をクリアしている物件であり、空気感が好きだった。予算内でこれ以上の住まいは見つからないだろうと即決でした。

 

内覧時は雨だったのでバルコニーからの景色はまずまずと言った感じ。最寄駅は遠いから週1で都内へ出る私は自転車がマストだな、スーパーは歩いていける距離だから問題なし。保育園もバスがあれば大丈夫...などと想像しながら荷造りをしていざ引っ越した日は季節違いの暖かさと雲ひとつない快晴。

 

当時9ヶ月の息子を連れての引っ越しだったのでそれだけでもありがたいな、と思いつついざ改めて物件へ足を踏み入れるとそこにはなんと大きな富士山が描かれているではないですか!そう。雨で見えなかった景色の先にはかの富士山が凛と佇んでいたのでした。

 

また、最寄駅をよくよく調べてみると都内へのアクセスの良さが抜群。乗り換えなしで様々な主要エリアへ行けることが分かりました。保育園は地味に遠かったけど、バス停までの距離は程よいし、予定より早めに車を買えたのでこちらも問題なし。そもそも入れただけで相当ラッキー。

 

車を手にすることでさらに県外の魅力的な地域へのアクセスが便利な場所ということが判明。

何も期待していなかっただけに、住めば住むほどラッキーがポロポロと溢れてくる感覚な毎日です。

 

 運が良いとは?

だから夫に言ってみました。「ここにして良かったでしょ?(えっへん)」と。すると

「うん。君は本当に運が良いね」と一言。

「そうなのよ(ドヤ顔)」と返したあと思わず私は夫に聞きました。

「あなたは自分が運が良いと思う?」

 

ポジティブな夫のことだから即答でYESと帰ってくると思いきや、何か渋っている様子。

 

「えーどうしたの?」と答えを催促するように聞くと

「昔みたアニメで言ってたんだ。物事の結果は自分が選んだことが全てだから運が良いとか悪いとか関係ないって」

 

それに対して、

 

「でもそれって、結局どんなことも運が良かったに変えられるものそうでないのも自分ってことでしょう?だって結末なんて死ぬまでわからないんだから」

 

と返す私に「その通り。いや、僕も自分のこと運が良いとは思ってるんだよ。ただその言葉を思い出しただけ」と返答する彼。

すかさず、

「私と結婚できたしね(ニッコリ)」と大きな声でまとめた私なのでした。

 

運が良いと思い込むと好転していく

とまあ、長ったらしく引っ越しの話やら夫との会話やらを書き留めてみましたが、何が言いたいかと言うと、自分が運が良いと思い込むってすごく大事だと思うのです。

 

思っていると、自然と運が良い方向にシフトしていくのだとも感じる今日この頃です

実際、私は運が良いと思います。

 

小学中学時代は辛いことが多かったし、就活は苦戦してやっとの思いでもらった内定先は「国立大学卒がいくようなところじゃない」と言われるし、27歳の年は元旦に婚約者に振られるし、新婚1年目から離婚の危機に陥るし、身体も心も病気になってしんどい思いもしたけども、自分が「運が悪い」と思ったことは一度もありませんでした。

 

就職先では想定外の経験を積むことができたし、人生の価値観を大きく変えることができました。元旦に振られたからこそ今の夫と結婚することができたし、彼と結婚したからこそお互いに人間として成長することができていると思います。心身ともにボロボロになったからこそ自分の中のしこりと向き合い、生き方を見つめ直すきっかけをもらえました。

 

なのでむしろ、全てとは言いませんが各局面で「本当に運が良かった」と思うのです。

そして振り返ってみると、どんどん人生が好転している気がしている今日この頃です。

 

 in the long run (長い目で見れば)

辛い経験や悲しい経験はできればしない方がいい。それは間違いありません。

でも、辛い経験をしたからと言って不幸なわけではないし運が悪いわけでもない。

 

In the long run

 

これは私の好きなイディオム。「長い目で見れば」と訳します。

長い目で見れば、絶対にあの時があって良かったと言える自分になることができる、そう思っています。

 

だから、いつか地の底まで落ちたからといって一度過ちをしたからといって、そこで人生を諦めるのは違うと思うし、誰かが地の底に落ちから一度過ちを犯したからといって、そこで見放したりバッシングしまくるのも違うと思います(庇えと言うことでもないですが)。

 

 今が一番幸せ

我が家はおそらく物理的に今一番しんどい時期かもしれません。少なくとも結婚当時は想像だにしていなかった地域に住んでいるし笑、この先どうなるかも何も保証がありません。

 

でも家族揃って風邪を引きつつも元気だし、息子はすくすく育ってくれているし、それだけでラッキー!ですよね。物に頼らず過ごしていたらいつの間にか「風の時代」になっていて、時代が我々に追いついた感じすらするし(あんまり風の時代のことわかってないけどw)、コロナで外出規制がかかってもほとんどストレスに感じることがありません。(大切な人に会えないのは寂しいですが)小さなことが大きな幸せに感じるので幸福度がますます高くなっています。

 

 人生はプラマイゼロ

人生はプラマイゼロ

 

だと聞いたことがあります。どんな人も幸せと不幸せが同じくらいあって、死ぬ前に振り返ってみるとみんなプラマイゼロになるんだ、と。

 

「ゼロ=何も荒波がない状態」だとしたら最高に幸せですよね。

 

だから結局人生は最高に幸せで終わるんだと思うんです。

 

そう考えただけで人間に産まれて運が良いなと思うし、ピンチが来ると逆に「これは好転する兆しだろうな」とワクワクすらする私。(大ピンチに遭ったらめげちゃうかもしれないけど。。)

そうやって自分自身を鼓舞している節もあります。

 

 笑顔でいたい

最近思うんです、笑顔が素敵な人ほど苦労をしているんだって。歯を食いしばってがんばっているんだって。

だから自分一人が辛いだとか苦しいだとか思っちゃいけないな、って。そして毎日笑っていられる強い人になりたいな、と。

 

もっとしちゃいけないのは、自分ががんばってないとかもっとやらなきゃいけないと思うことですが。絶対絶対責めちゃダメ。そういう人は人一倍がんばってます。

 

だから疲れた時は休めばいいし、いつも太陽のように笑っていなくても大丈夫。這い上がれないほど落ち込む時期があったっていいし、無理に元気になろうとする必要もない。そして何よりその時期一点だけを見つめて落胆する必要は全くない。

 

ジワジワとパワーが湧いてくるのを待っていればいいんです。自分では抗えないこともたくさんあります。「運が良い」という気持ちを頭の片隅に少し置いておくことができれば、必ず好転する瞬間がくると思います。そうやって苦しい時期を乗り越えた人の笑顔が言葉にできない輝きがあるように感じます。

私も年を重ねるごとに、キラキラした笑顔いっぱいの顔になりたいです。

 

 まとめ

...なんだかまとまりのない文章になってしまいました(スミマセン)。Anyway,これからも色んな波が来るだろうけど、

in the long run

精神でやっていきたいなと思うのでした!

 

それでは今日はこの辺で。みなさまくれぐれもご体調にはお気をつけくださいね。

また次回お会いしましょう!さようなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

めんどくさい、をどれだけやるかが全て

f:id:aoioilove:20210122135009j:plain


「相手に伝えるということが、こんなにも難しいことだとは思いませんでした」

「難しいと思うなよ。めんどくさいと思えばいい」

昨日の師匠との会話です。

 

週に一度、ナレーションのレッスンを受けて今年で4年目になります。途中お休みした期間があるので丸2年半ほど習っていることになります。

 

もともとナレーションは得意な方だと思っていたし、めんどくさがりやな私にとって自分のメンテナンスさえしておけば、どこに行っても何の道具を持たなくてもできる仕事はとても魅力的でした。災害時にも自分の声さえ出る状態だったら読み聞かせができる(身一つで提供できるスキルがある)し、俳優と違って見られる職業じゃないから必要以上に見た目に気を遣わなくてもいいし、原稿だって暗記する必要はない。人事の仕事のように四六時中会社や社員のことを考えなくてもいいし、プロジェクトごとにメンバーが集まり作品を仕上げ、完成したら「それじゃまた!」と別れられるさっぱり感は人疲れしやすい私にぴったりではないか。そんな不純(?)な動機もあって2年前の今日、個人事業主として開業しました。

 

でもやればやるほど、「何でこんな単純なことができないのだろう」「どうしてこういう声が出せないのだろう」と壁にぶち当たるばかり。気持ちばかりが焦って負のルーブに陥った時期もありました。

 

最近も土台を固めようと初心に戻ってトレーニングしているのですが、どこか甘い自分がいたりして師匠の言う言葉の意味が、本当の意味で理解しきれず心の中で逆ギレしたり。笑

 

でも真剣に聞いて丁寧に鍛錬すると、少し具体的に見えて来るものがあって、そうすると師匠の言う事がスーッと心の中に響いてきて。

 

結局「わからない」のではなく、真剣に向き合いきれていないんですよね。という小学生でもわかるようなことを、31歳の私はひしひしと痛感しているのであります。

 

師匠と出会って2年半。色々なことを教わってきたけどどれも中途半端だったことに気づかされ、ショックを受けたのが昨年で、やっと具体的な景色が見えてきたのが最近。

 

あぁ、なんてバカなんだろう私

と言う思いと、

いやまだここで気がつけて良かったじゃないか

と言う思いが混在しています。

 

そして出てきた言葉が

「(ナレーションが)こんなに難しいと思わなかった」

でした。

それに対して笑いながら、

「難しいんじゃない。めんどくさいんだ」

と返してくれた師匠。

私の中でスーッと溶け込んできました。

 

そうか。めんどくさいんだ。そうだ。めんどくさいんだ!

 

だって、毎日毎日同じことを繰り返すんですよ。「アイウエオ」から始まって、ひたすら「相手に言う」を染み込ませる。身体に馴染んだと思ったらそうでもないことをレッスンのたびに直面する。1歩進んで0.9歩下がって、少しずつしか上達しない。それを永遠に続けるのです。

 

「難しいと捉えると頭でっかちになって身体に力が入ってしまうからね。めんどくせ〜くらいで丁度いいんだよ」

 

師匠の言葉を胸に今日も鍛錬を続ける私です。

 

そんな中、たまたまこんなツイートを見かけました。

 

かの宮崎駿監督も同じようなことを呟いていました。

世の中の大事なことは大抵めんどくさいんだよ

めんどくさいっていう自分との戦いなんだよ

 

 なんだか勇気をもらった私。

 

めんどくせ〜〜〜!!!

と思いつつ、大事なことに向き合っている証拠だと思って、大事に積み重ねて行こうと改めて思いました。

 

仕事は違えど、同じような局面の方もいらっしゃると思います。

仕事だけでなく、恋愛とか結婚生活も同じだと思います。

 

難しいんじゃない。めんどくさいんだ。

愛の言葉を紡ぐのだって、何かを伝えて理解してもらうことだって、大抵は難しくない。めんどくさいんです。そのめんどくさいことをどれだけ丁寧にやるかで、その後の二人は変わってきますよね。

 

それと同じだな〜と思ったのでした。

 

めんどくさい。めんどくさい。

でも、大事なことだから。それが全てだから。

 

ブツブツ言いながら、やっていきましょう。

 

それでは今日はこの辺で。みなさん良い週末をお送りください。

また次回お会いしましょう。さようなら!