HiromiVoice

声で人を豊かにする、をビジョンに掲げるナレーター酒匂ひろみの日記

トライアングルの法則

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昨日、とても良い話を聞いたのでその話をします。

相手に合わせるよりも頂点を目指そう

お話はこちらの動画から拝聴しました。(最近私がはまっているYouTuber、Narumi Shikiyaさん)

 

www.youtube.com

 

失恋からどう乗り越えたか、というお話なのですが、その中で出てくる

トライアングルの法則

がとても納得でした。

 

動画をご覧いただければより分かると思うのですが、簡単に言うと

自分を高めれば高めるほど、自然と素晴らしい人に会うことができる

というもの。

 

簡単に説明します。

自分が三角形の底辺にいるときは左右の点まで距離がありますよね?その点(角といった方がわかりやすいでしょうか)に行くには相手の方へよっていかないといけない。これが仮に恋人だったり好きな人だったら、相手に合わせるという事になります。

 

恋は盲目とはよく言ったもので、渦中にいるときは相手に合わせることも幸せに感じてしまったり、傷ついていても知らん顔してみたり、我慢することが自分の使命だと勘違いしてしまったり。相手に合わせることがどれだけしんどいことなのか、気がつかない時もあると思います。

 

でもこれを続けている限り、仮に別の人を好きになっても今度は反対側の点へ向かうだけなので、合わせる行為自体は変わりません。

 

こんなことを繰り返すよりも、頂点を目指して努力すればそこにぴったり合う相手が来るものだよ、とNarumiさんのお母様は教えてくださったそうです。(なんて素敵なお母さんなんでしょう!私も息子にこういうことを言ってあげられる母親になりたい!)

 

ウィルスミスの言葉

また、動画内のコメントにも素敵な言葉がありました。

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人を追うな。自分自身でいるんだ。努力して自分のことをとことんやるんだ。そうすれば、君の元に来るべき、ふさわしい人が現れるさ。

 かの大スター、ウィルスミスの言葉だそうですが、とても心を打たれました。

 

「自分自身でいる」ってすごくすごく大切なことですよね。

恋愛では特に気がつかないこともあるけれど、「何か寂しい」「何か苦しい」「何か悲しい」少しでもそう感じるのであれば、それはきっと自分自身でいられていないというサイン。他にふさわしい人がいるよ、というサイン。

 

リンカーンの言葉 

さらに、私がナレーターを志した時、父親にこんなことを言われたことがあります。

I will prepare and some day my chance will come.

「準備をしておこう。いつかチャンスは訪れる」これはリンカーンの言葉だそうです。

 

恋愛でも仕事でも

いずれも、

まずは自分自身を大切にして然るべき努力をしろ。そうすれば自ずと良い人(チャンス)がやってくる

と言っていますよね。

 

動画では恋愛の話と絡めてトライアングルの法則を説明されていますが、仕事でもなんでも同じことが言えると思います。

 

 

雑音や雑念に捉われず、自分を大切にして努力し続ける

そうすれば自然と道は拓く。

 

恋愛では相手、仕事では周りの評価だったりライバルのプロダクトだったり気になる目ってたくさんあると思います。

 

でもそうではなくって、ベクトルを自分の向かうべきこと・やるべきことに向ける。

そのための努力をし続ければ自然と周りの景色が変わっていくものだと、教えてくれています。

 

もちろん努力の仕方は大きいと思います。間違った方向に努力していたら勿体無いので、そこは信頼できる師匠を見つけるとか工夫をした方がいい。

 

ですが!

 

一度これだと決めたなら、変わりたいと本気で思うなら、違うステージに向かいたいと思うなら、あとは頑張るしかないですよね。

 

よし、がんばろ。と改めて思わせてもらった時間でした🙏

 

おわりに

いつもついつい意識高い系の話になってしまって恐縮です。笑 

今日も最後まで読んでくださったアナタ、いつもありがとうございます。アナタはアナタの道を、私は私の道を、それぞれ一歩一歩進んでいきましょうネ!

 

それでは今日はこの辺で。また次回お会いしましょう!さようなら。

 

in the long run(長い目で見れば)

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突然決まった引っ越し。蓋を開けてみたらラッキー続き

昨年末に引越した私たち。事情があって急遽決まった引っ越しでした。

 

育児のことを考えて、つわりの中息絶え絶えになりながら引っ越したお家はたった1年3ヶ月しか住まず。正直「またか...」とため息が漏れそうになったけれども、ここは1日も早く動いた方がいい!と私の直感が働き、引っ越しを決意した3週間後には本契約を結んでいました。

 

何も縁もないこの土地に決めたのも直感。様々な制約をクリアしている物件であり、空気感が好きだった。予算内でこれ以上の住まいは見つからないだろうと即決でした。

 

内覧時は雨だったのでバルコニーからの景色はまずまずと言った感じ。最寄駅は遠いから週1で都内へ出る私は自転車がマストだな、スーパーは歩いていける距離だから問題なし。保育園もバスがあれば大丈夫...などと想像しながら荷造りをしていざ引っ越した日は季節違いの暖かさと雲ひとつない快晴。

 

当時9ヶ月の息子を連れての引っ越しだったのでそれだけでもありがたいな、と思いつついざ改めて物件へ足を踏み入れるとそこにはなんと大きな富士山が描かれているではないですか!そう。雨で見えなかった景色の先にはかの富士山が凛と佇んでいたのでした。

 

また、最寄駅をよくよく調べてみると都内へのアクセスの良さが抜群。乗り換えなしで様々な主要エリアへ行けることが分かりました。保育園は地味に遠かったけど、バス停までの距離は程よいし、予定より早めに車を買えたのでこちらも問題なし。そもそも入れただけで相当ラッキー。

 

車を手にすることでさらに県外の魅力的な地域へのアクセスが便利な場所ということが判明。

何も期待していなかっただけに、住めば住むほどラッキーがポロポロと溢れてくる感覚な毎日です。

 

 運が良いとは?

だから夫に言ってみました。「ここにして良かったでしょ?(えっへん)」と。すると

「うん。君は本当に運が良いね」と一言。

「そうなのよ(ドヤ顔)」と返したあと思わず私は夫に聞きました。

「あなたは自分が運が良いと思う?」

 

ポジティブな夫のことだから即答でYESと帰ってくると思いきや、何か渋っている様子。

 

「えーどうしたの?」と答えを催促するように聞くと

「昔みたアニメで言ってたんだ。物事の結果は自分が選んだことが全てだから運が良いとか悪いとか関係ないって」

 

それに対して、

 

「でもそれって、結局どんなことも運が良かったに変えられるものそうでないのも自分ってことでしょう?だって結末なんて死ぬまでわからないんだから」

 

と返す私に「その通り。いや、僕も自分のこと運が良いとは思ってるんだよ。ただその言葉を思い出しただけ」と返答する彼。

すかさず、

「私と結婚できたしね(ニッコリ)」と大きな声でまとめた私なのでした。

 

運が良いと思い込むと好転していく

とまあ、長ったらしく引っ越しの話やら夫との会話やらを書き留めてみましたが、何が言いたいかと言うと、自分が運が良いと思い込むってすごく大事だと思うのです。

 

思っていると、自然と運が良い方向にシフトしていくのだとも感じる今日この頃です

実際、私は運が良いと思います。

 

小学中学時代は辛いことが多かったし、就活は苦戦してやっとの思いでもらった内定先は「国立大学卒がいくようなところじゃない」と言われるし、27歳の年は元旦に婚約者に振られるし、新婚1年目から離婚の危機に陥るし、身体も心も病気になってしんどい思いもしたけども、自分が「運が悪い」と思ったことは一度もありませんでした。

 

就職先では想定外の経験を積むことができたし、人生の価値観を大きく変えることができました。元旦に振られたからこそ今の夫と結婚することができたし、彼と結婚したからこそお互いに人間として成長することができていると思います。心身ともにボロボロになったからこそ自分の中のしこりと向き合い、生き方を見つめ直すきっかけをもらえました。

 

なのでむしろ、全てとは言いませんが各局面で「本当に運が良かった」と思うのです。

そして振り返ってみると、どんどん人生が好転している気がしている今日この頃です。

 

 in the long run (長い目で見れば)

辛い経験や悲しい経験はできればしない方がいい。それは間違いありません。

でも、辛い経験をしたからと言って不幸なわけではないし運が悪いわけでもない。

 

In the long run

 

これは私の好きなイディオム。「長い目で見れば」と訳します。

長い目で見れば、絶対にあの時があって良かったと言える自分になることができる、そう思っています。

 

だから、いつか地の底まで落ちたからといって一度過ちをしたからといって、そこで人生を諦めるのは違うと思うし、誰かが地の底に落ちから一度過ちを犯したからといって、そこで見放したりバッシングしまくるのも違うと思います(庇えと言うことでもないですが)。

 

 今が一番幸せ

我が家はおそらく物理的に今一番しんどい時期かもしれません。少なくとも結婚当時は想像だにしていなかった地域に住んでいるし笑、この先どうなるかも何も保証がありません。

 

でも家族揃って風邪を引きつつも元気だし、息子はすくすく育ってくれているし、それだけでラッキー!ですよね。物に頼らず過ごしていたらいつの間にか「風の時代」になっていて、時代が我々に追いついた感じすらするし(あんまり風の時代のことわかってないけどw)、コロナで外出規制がかかってもほとんどストレスに感じることがありません。(大切な人に会えないのは寂しいですが)小さなことが大きな幸せに感じるので幸福度がますます高くなっています。

 

 人生はプラマイゼロ

人生はプラマイゼロ

 

だと聞いたことがあります。どんな人も幸せと不幸せが同じくらいあって、死ぬ前に振り返ってみるとみんなプラマイゼロになるんだ、と。

 

「ゼロ=何も荒波がない状態」だとしたら最高に幸せですよね。

 

だから結局人生は最高に幸せで終わるんだと思うんです。

 

そう考えただけで人間に産まれて運が良いなと思うし、ピンチが来ると逆に「これは好転する兆しだろうな」とワクワクすらする私。(大ピンチに遭ったらめげちゃうかもしれないけど。。)

そうやって自分自身を鼓舞している節もあります。

 

 笑顔でいたい

最近思うんです、笑顔が素敵な人ほど苦労をしているんだって。歯を食いしばってがんばっているんだって。

だから自分一人が辛いだとか苦しいだとか思っちゃいけないな、って。そして毎日笑っていられる強い人になりたいな、と。

 

もっとしちゃいけないのは、自分ががんばってないとかもっとやらなきゃいけないと思うことですが。絶対絶対責めちゃダメ。そういう人は人一倍がんばってます。

 

だから疲れた時は休めばいいし、いつも太陽のように笑っていなくても大丈夫。這い上がれないほど落ち込む時期があったっていいし、無理に元気になろうとする必要もない。そして何よりその時期一点だけを見つめて落胆する必要は全くない。

 

ジワジワとパワーが湧いてくるのを待っていればいいんです。自分では抗えないこともたくさんあります。「運が良い」という気持ちを頭の片隅に少し置いておくことができれば、必ず好転する瞬間がくると思います。そうやって苦しい時期を乗り越えた人の笑顔が言葉にできない輝きがあるように感じます。

私も年を重ねるごとに、キラキラした笑顔いっぱいの顔になりたいです。

 

 まとめ

...なんだかまとまりのない文章になってしまいました(スミマセン)。Anyway,これからも色んな波が来るだろうけど、

in the long run

精神でやっていきたいなと思うのでした!

 

それでは今日はこの辺で。みなさまくれぐれもご体調にはお気をつけくださいね。

また次回お会いしましょう!さようなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

めんどくさい、をどれだけやるかが全て

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「相手に伝えるということが、こんなにも難しいことだとは思いませんでした」

「難しいと思うなよ。めんどくさいと思えばいい」

昨日の師匠との会話です。

 

週に一度、ナレーションのレッスンを受けて今年で4年目になります。途中お休みした期間があるので丸2年半ほど習っていることになります。

 

もともとナレーションは得意な方だと思っていたし、めんどくさがりやな私にとって自分のメンテナンスさえしておけば、どこに行っても何の道具を持たなくてもできる仕事はとても魅力的でした。災害時にも自分の声さえ出る状態だったら読み聞かせができる(身一つで提供できるスキルがある)し、俳優と違って見られる職業じゃないから必要以上に見た目に気を遣わなくてもいいし、原稿だって暗記する必要はない。人事の仕事のように四六時中会社や社員のことを考えなくてもいいし、プロジェクトごとにメンバーが集まり作品を仕上げ、完成したら「それじゃまた!」と別れられるさっぱり感は人疲れしやすい私にぴったりではないか。そんな不純(?)な動機もあって2年前の今日、個人事業主として開業しました。

 

でもやればやるほど、「何でこんな単純なことができないのだろう」「どうしてこういう声が出せないのだろう」と壁にぶち当たるばかり。気持ちばかりが焦って負のルーブに陥った時期もありました。

 

最近も土台を固めようと初心に戻ってトレーニングしているのですが、どこか甘い自分がいたりして師匠の言う言葉の意味が、本当の意味で理解しきれず心の中で逆ギレしたり。笑

 

でも真剣に聞いて丁寧に鍛錬すると、少し具体的に見えて来るものがあって、そうすると師匠の言う事がスーッと心の中に響いてきて。

 

結局「わからない」のではなく、真剣に向き合いきれていないんですよね。という小学生でもわかるようなことを、31歳の私はひしひしと痛感しているのであります。

 

師匠と出会って2年半。色々なことを教わってきたけどどれも中途半端だったことに気づかされ、ショックを受けたのが昨年で、やっと具体的な景色が見えてきたのが最近。

 

あぁ、なんてバカなんだろう私

と言う思いと、

いやまだここで気がつけて良かったじゃないか

と言う思いが混在しています。

 

そして出てきた言葉が

「(ナレーションが)こんなに難しいと思わなかった」

でした。

それに対して笑いながら、

「難しいんじゃない。めんどくさいんだ」

と返してくれた師匠。

私の中でスーッと溶け込んできました。

 

そうか。めんどくさいんだ。そうだ。めんどくさいんだ!

 

だって、毎日毎日同じことを繰り返すんですよ。「アイウエオ」から始まって、ひたすら「相手に言う」を染み込ませる。身体に馴染んだと思ったらそうでもないことをレッスンのたびに直面する。1歩進んで0.9歩下がって、少しずつしか上達しない。それを永遠に続けるのです。

 

「難しいと捉えると頭でっかちになって身体に力が入ってしまうからね。めんどくせ〜くらいで丁度いいんだよ」

 

師匠の言葉を胸に今日も鍛錬を続ける私です。

 

そんな中、たまたまこんなツイートを見かけました。

 

かの宮崎駿監督も同じようなことを呟いていました。

世の中の大事なことは大抵めんどくさいんだよ

めんどくさいっていう自分との戦いなんだよ

 

 なんだか勇気をもらった私。

 

めんどくせ〜〜〜!!!

と思いつつ、大事なことに向き合っている証拠だと思って、大事に積み重ねて行こうと改めて思いました。

 

仕事は違えど、同じような局面の方もいらっしゃると思います。

仕事だけでなく、恋愛とか結婚生活も同じだと思います。

 

難しいんじゃない。めんどくさいんだ。

愛の言葉を紡ぐのだって、何かを伝えて理解してもらうことだって、大抵は難しくない。めんどくさいんです。そのめんどくさいことをどれだけ丁寧にやるかで、その後の二人は変わってきますよね。

 

それと同じだな〜と思ったのでした。

 

めんどくさい。めんどくさい。

でも、大事なことだから。それが全てだから。

 

ブツブツ言いながら、やっていきましょう。

 

それでは今日はこの辺で。みなさん良い週末をお送りください。

また次回お会いしましょう。さようなら!

 

 

「いいの、いいの」を読んで

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みなさんこんばんは、ひろみです。

先日、こんなツイートを目にしました。

 

 

 記事を読み、思わずリツイートした私。子供の頃の、切なく苦しい記憶が蘇ってきて胸がキュッとなりました。

 

 

 

小学校時代の苦い記憶

少し暗い話になってしまうのですが、私は小学年生の時にイジメにあいました。理由は当時イジメられていた子を庇ったからでしょうか。転校生だったから変に目立ったのが気に障ったのでしょうか。よくわからないまま、ある日突然シカトが始まり、交換日記に悪口を書かれ、靴に大量の石を入れられました。イジメられていることを親に話せば心配させてしまう、そんな風に考えた私はしばらく学校での出来事を黙ったまま過ごしていました。来る日も来る日もシカトは続き、休み時間に教室でひとりぼっちなのが寂しくて恥ずかしくてトイレにずっとこもる毎日。次第に体調が悪い気がしてきて、保健室に逃げこむようになりました。流石におかしいと気づいた両親が学校に相談しほとぼりは冷めたのですが、あの時の心の苦しさは今でもよく覚えています。

中学時代の辛い思い出

中学時代はシカトや陰口を言われることよりももっと辛いことがありました。厳しい部活動、理不尽な指導、ありとあらゆる学校代表…ここに書ききれないくらいたくさんの業務(中学生なのに!)を任された私は体力的にも精神的にもいっぱいいっぱい。加えて、人一倍真面目で気にしいだったこと、思春期真っ只中だったこともあり、14歳の頃は疲れとストレスがピークに達していました。ただただ何も考えない頭になりたい!バカになりたい!と、帰宅後は部屋で自分の頭をひたすら殴っていた時期があります。でも、

「ここで弱音を吐いたら周りを悲しませてしまう」「失望させたくない」

そんな思いから朝から晩までとにかく走り続けた日々。毎晩、螺旋階段をくるくる回りながら落ちる感覚で眠りに落ち、悪夢にうなされ続けた日々。今振り返るとなぜあんなにがんばってしまったんだろう、と後悔すらします。

30歳を過ぎて気づいたこと

そんな苦しかった学生生活。今だから苦しかったと言えますが、当時は「これも良い経験だ」なんて無理やり良い解釈をしていました。いや、半ば本気でそう思っていたかもしれません。変ですよね、涙はたくさん出ていたのに。頭を殴りすぎた拳はジンジン痛んでいたのに。

でも、そんな無理をしていて、ツケが来ないわけがないんです。そのことに気が付いたのは、30歳。適応障害と診断を受けた私は週に一回カウンセリングを受けることになりました。何回か通う中でおもむろに中学時代の話を始めた私。そこでふと、こう言われたのです。

「お父さんやお母さん、助けてくれなかったんだ?」

言われた時は違和感がありました。

「いや、私が自分の意思で言わなかったんだ。両親は関係ない」

「全然辛くなかったんだ、あの経験が私を強くしてくれたから」

「いや、本当は苦しかったかもしれない」

「あんなことやりたくなかったんだ」

「毎日逃げたかったし、死にたかった」

「誰かに助けて欲しかった…」

助けて欲しかった。何もしなくていいと言って欲しかった。先生や学校に「娘を潰さないでくれ」と言って欲しかった。

ポロポロと、当時の私の本当の声が漏れてきたのです。

自分の心に蓋をしない

冒頭の記事に戻ります。記事は、男の子として生まれたけど中身は女の子のお子さんとその親御さんのエピソードです。一見、LGBTの記事と思う方もいるかもしれませんが、これはこの世の中の子供、いや大人にも当てはまる、大切なテーマだと思います。

最後にこんな記載があります。

「自分らしく生きて幸せになれるよ」
そう伝え続けていきたいです。

自分の心のままに生きて幸せになれるように、精いっぱいのことを、してあげたいと思っています。

自分の心のままに生きること。これがどれだけ尊く難しいことか。

そしてここに蓋をしてしまうことがどれほど恐ろしく悲しいことなのか。

子供は想像以上に外でがんばっている

子供は大人が思っている以上に繊細で、頑張り屋さんで、気遣いができます。「いいよ、いいよ」と言えてしまう彼女。その言葉が出るまでにどれほどの苦悩があったのか。周りの大人はそれを想像しなくてはいけません。一番身近な大人は親なので、何か違和感に気づいた時、抱きしめて話を聞いて守ってあげる。違和感に気づくには毎日観察することが必要だし、話を聴くには日頃から信頼関係を構築する必要があります。守ってあげるには自分がしっかり軸をもって生きていなければいけないし、一人で戦わず協力してくれる仲間を理解者を集め、頼る力も必要です。全てを完璧にはできなくても、そういった努力は最大限やっていきたいと強く思いました。

息子に伝えたいこと

また、息子が同じような立場になったら私はどんなことがしてあげられるのかな、と想像しながら何回も読み直しました。

・戦うだけでなく、うまく交わすことも有効なこと
・世界は思っている以上にいろんな人がいていろんな仕事があって回っていること
・感謝の気持ちを忘れずに努力すれば必ず幸せになれること
・そのままのあなたを愛してくれる人は親以外に必ずいること
・大人になるまではお母さんが守るからねと思っていること
・苦しい思いまでして頑張る必要はないし価値もないこと

などなど、伝えたいことはたくさんあります。 

完璧な親などいない。だからこそ...

でも、私も完璧な親ではないので、きっと息子の心の中を100%理解することはできないし、適切なタイミングで適切な言葉で伝えたいことを伝えられることもできないでしょう。かつて私が親に抱いていた「助けて欲しかったんだよ」と言われる日もあるかもしれません。

だからこそ、大人が、社会が、一人一人が、

「自分らしく生きて幸せになれるよ」
そう伝え続けていきたいです。

自分の心のままに生きて幸せになれるように、精いっぱいのことを、してあげたいと思っています。

このような価値観を念頭に生きていくことが大切なのだと思います。

 冒頭に引用させていただいた、シオリーヌさんの言葉のように、

子どもたちがその子らしいままで、安心して暮らせる社会を作らないといけない

そう思います。

 

みなさんはこの記事を読んでどのように思われましたか?

みなさんが、みなさんのご家族やお子さんが、笑顔いっぱいで毎日過ごせることを願っています!

それではまた次回お会いしましょう。さようなら! 

 

 

あこがれのいい女

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みなさんこんにちは、ひろみです。

先日私は「いい女はこんな風に振る舞うよ」的な本を読みました。(正確に言えば読もうとしました)

その本は「話し方」について言及もしていたので、話すこと伝えることを生業としている私にとって何かヒントがあるかもしれないと思ったので手に取ったのです。が、途中で読むのを諦めてしまいました。

 

というのも、「いい女は相手に話を合わせる」だとか「男性にかわいいと言ってはいけない」だとか「声は艶っぽく」だとかが書いてあって、「うーん...うーん、そんな女と話してて何が楽しいんだろう。。。そういうことではないんじゃないか。。。」と突っ込みたいことがどんどん募ってしまい、疑問符が頭の中を埋め尽くしてしまった私。

 

そんな上っ面だけで「いい女」だの「残念な女」だの決められたくないよ〜。と。 (もちろん、大人の事情でそのような書き方になった部分もあると思いますし、全てが全て「??」だったわけではなかったのですが...!)

  

それで、私なりに「いい女」について考えてみたんです。

 

だって私も可能な限りいい女でいたいですから。夫には永遠にモテたいし、息子にだってママイケてるね!って言われたいし、家庭にいい女がいたらテンション上がるじゃないですか。仕事だっていい女とした方が楽しいでしょう?

 

私の頭の中に浮かぶいい女はお世話になっている美容師さん。

 

彼女は30歳で独立し、今は表参道にお店を構えカリスマ美容師として活躍されています。それだけ聞くとあたかも成功者っぽいですが、小さい頃の悲しい経験を乗り越えたからこそ今があるんだとか。それが結果好機となり彼女に力を与えたばかりか、秘めていた才能やガッツを与えたそうなんです。

 

実は今日たまたま聞いた話でしたが、「だからこんなに肝が据わってて堂々としているんだな」「だからこんなに誠実で素敵なんだな」と、とても腑に落ちた瞬間でした。

 

また、昔こんな話をしたことがありますが、

 

anchor.fm

 

エピソードに出てくる彼女も夢があって行動力があって、考え方が前向きで今思い出してもかっこよく笑顔が素敵でした。

 

彼女らに共通していることは、

ピンチに動じない

→過去に苦難を乗り越えているのでそれが確固たる自信になっている

 

若々しい

→夢に向かって努力しているから生き生きして見える

 

会話が楽しい

→常に学んでいる(挑戦している)ので話のネタが尽きないし、様々な経験を経ているので業界業種が違えども見える世界があってだからこそ共感してくれたり拡げてくれる

 

 

逆に共通していないことは、

容姿
話し方
声のトーン
服のセンス
アクセサリーなどの趣味などなど....たくさん!!

 

つまり何が言いたいかというと、いい女とはその人の考え方や振る舞い、生き様であって、話し方とか表情とかそういうレベルの話ではないということです。

  

もちろん話し方も表情も言葉のチョイスも大事です。

 

でもやることやって前向いて誠実に努力して生きてきた人は、自然とその人の個性が惨め出た素敵な話し方になるし、言葉も然り、表情も然りです。何より笑顔が輝いて見えますよね。

  

だからどんなに高い美容液を塗りたくったって、マニュアル本を読んだって、声を高く甘く出してみたって、綺麗な洋服を着てたってそんなの全然いい女でもなんでもない。It's just a pretender!!

  

先に述べた美容師さんもそうなのですが、いい女と一緒にいると良いエネルギーをもらえて気持ちが晴れ晴れとします。そしてオーラがカッコいいから少しドキドキもするのです(敢えてのお伝えですが私はストレートです)。

 

彼女のようになるにはまだまだ精進が足りない私。

 

今日久しぶりに彼女にあって、心新たに決意したのでした。

 

いい女になろう!

とね。

 

みなさんにとって「いい女」はどんな人でしょうか?

 

それではまた、次回お会いしましょう♪

さようなら〜!