性のお話 #1 ~日本と世界の性教育~
みなさんこんにちは、ひろみです。
今日は性についてのお話を。皆さんは「性教育」と耳にするとどんなイメージを持ちますか?また、セックス について日頃、パートナーや家族とオープンに話すことができますか?
このテーマは長年、私がずっと書きたいと思っていたものです。が、一般的にはセンシティブな話題なのでそう気軽に書けないな…もう少し調べてからにしよう…と後手後手にしていたのでありました。そうこうしている間に子供を授かり、性教育に対してより興味関心が強くなった今、ある程度考えがまとまったので書かせていただきます。
第一回の今回は、日本と世界の性教育について。比較してみると、日本はアップデートできていないなあと感じることがとても多く、最後の章でも書いた通り、こんな対応じゃまずいやろ!と思わず突っ込んでしまいたくなることもあってなんとも言えない気持ちになりました。こちらの記事が、どなたかのご参考、また性に関して考えるキッカケになれば本望です。
なお、こちらは
でもお聴きいただけます。お好きな方でお楽しみください。
- 0. はじめに〜初潮は恥ずかしいこと?そして「僕はどうやって産まれたの?」と聞かれたら〜
- 1. 日本の性教育
- 2. アメリカの性教育
- 3. フランスの性教育
- 4. オーストラリアの性教育
- 5. オランダの性教育
- 6. フィンランドの性教育
- 7. ガーナの性教育
- 8. 区政をきく(一般質問)の回答を読んでショック
- 9. まとめ
0. はじめに〜初潮は恥ずかしいこと?そして「僕はどうやって産まれたの?」と聞かれたら〜
性教育について考えるようになったきっかけは2つあります。1つは小学4年生の時。クラスメイトのAちゃんが授業中に初潮を迎えてしまったのです。驚いたAちゃんと周りの生徒。先生は慌てて保健室へ連れて行きました。その後、クラスの女子だけが先生に呼び出されこう話したのです。
「Aちゃんの血はとても恥ずかしいことだから、太ももを切って怪我をしたことにしましょう」
と。私はとても驚きました。確かに教室で初潮を迎えてしまったことは本人にとってはショックなことだったかもしれない。10歳になるかならないかくらいの子供に初潮の話をしてもピンとこないかもしれない。でもそれを「恥ずかしいこと」というのはおかしいのではないか?と。これを機に性の授業をすればいいのに、と強く思いました。むしろ子供達に(特にからかう子)「恥ずかしいことでもなんでもない」と教えるべきではないか、と。
また、2つ目のきっかけは子供を授かったことでした。散歩中、ふと夫に
「ねぇ、子供に”僕はどうやって産まれてきたの?”とか”なんで赤ちゃんができるの?”と聞かれたら何て答える?」
と尋ねたところ少し考えて「ひろみは?」と質問返し(笑)私も「うーむ。愛し合った結果なのよ、というもは間違いじゃないけどロマンチックすぎるというか、はぐらしすぎというか…。子供は男の子だし、性の被害者どころか何かの拍子で加害者にだって大いになりうるからきちんと教えたいけど、かといってどこまで詳細に伝えていいものか…。。。」と考えてこんでしまいました。
その時、きちんと勉強して子供に伝えられる親になろう、と思ったのです。家庭内で性の話をするのはかねてからの目標でしたが、妊娠を機にスイッチが入ったのでありました。
1. 日本の性教育
小学校2年生から高校3年生まで日本の教育を受けてきた私は、いわゆる日本の性教育について大多数の日本国民のみなさんと同じ印象を持っていると自負しています。ズバリ、「何も教わっていない」というのが私の印象です。こんな記事がありました。
日本の多くの学校で行われる性教育では、生理や精通がくることを教えられても、妊娠や性感染症などについては最低限の知識しか教えられていないのが現状だ。*1
だったり、
わが国では「雨降り保健」といわれ、晴れたら体育、 雨がふったら保健という学校もある。性教育は保健体 育の担当教員の裁量に委ねられており、体育を専門に している教師はほとんどの時間を体育に費やし、保健 の授業はテキストを読ませて終えている現状もある。*2
まさに。です。
また、家庭内でもセックス の話は出なかったので、幼い頃花火を自宅のベランダから眺めている時ふと姉に「なんで私たちが産まれたと思う?」と聞かれた私は「お父さんとお母さんが同じ誕生日だからでしょ?(私の両親は偶然にも生年月日が同じなのです!余談ですが、そのため10歳くらいまで私は生年月日が同じ相手でないと結婚できないものと思い込んでいました笑)」と真面目に答えてしまったくらい。姉から事実を教えられた時はとても衝撃的だったこと今でもよく覚えています。
ほとんどの方が、兄姉や友達、雑誌、漫画、今だとネットで情報を入手するのではないでしょうか。当時はそんなものなのかなと思っていましたが、大人になると、また海外の事情を知ると「こんな状態はだめだ!!!」と強く思うようになりました。
2. アメリカの性教育
いくつか記事や動画を視聴して、アメリカの性事情を探ってみました。
Peggyさんによると、アメリカではセックス のリスクや危険性についての教育(家庭内教育も含め)がほとんどのようです。この点は日本と類似していると思います。
しかし、こちらの記事によるとアメリカの性教育は日本と異なり着実にアップデートされているとのこと。
州によってバラつきがありますが、例えば
ミシガン南西部にあるカラマズー公立学校は「Rights, Respect, Responsibility(権利、尊重、責任)」と題した現代の性事情をかなり手厚く反映した性教育方針のカリキュラムを採用しました。男女の生体の違い、生殖、コンドームと避妊、妊娠といった従来の日本の保健体育の授業で学習する内容はもちろん、セクスティング、デートDV、性行為への同意、性同一、禁欲、いじめ、性的虐待、LGBTQ、性感染症等を項目に追加。従来の性教育ではカバーしきれなかった、宗教的に、性的志向の多様化と共に教育現場に求められてきた多様性が反映されています。
7~12年生(日本の中高校期にあたる)で十分な性教育を行うよう指南するカリフォルニア州法「California Healthy Youth Act (CHYA)」を策定しました。※3
この州法は、HIVやその他感染症の性質、予防と治療、避妊、禁欲、妊娠、性的指向の表現とアイデンティティ、同性カップル、性的虐待や暴力、人身売買、セクハラ等を盛り込んだ性教育カリキュラムを、2019−20年内に教育現場へ実施することを義務付けたものです。
など。いずれもセックス のリスクに偏っていますが、明確にカリキュラムに組まれていることは日本と決定的な違いなのではないでしょうか。
3. フランスの性教育
以前、「なぜフランスでは子どもが増えるのか」という本を読みました。
フランス人とご結婚し、ご出産・育児をされている筆者・中島さゆりさんが
『パリの女は産んでいる』を読んでくれた編集者、「フランスの女性が現在のような状況に至るまでの背景を書いてください。そこから、いまの日本にとって参考になることがあるかもしれないから
という言葉から出版されたそうです。内容は、どんな経路で今日のフランスの女性を巡る環境(「子どもを欲しがるフランスの現在は、女性の自由を尊重し、カップルの生活が充実し、女性の性にまつわる不利を改善し、母親の負担を軽減した結果である」)が生まれたのかを解説している本です。
全体的にとても興味深く、ぜひ日本でも採用してほしい制度(3歳からの保育学校など!!)もあるのですが、ここではピルに関して一部引用させていただきます。
フランスでは現在、避妊の70%はこのピルに頼っている。(中略)モーニングアフター・ピルは、薬局で処方箋なしで帰るし、高校の保健室では無料で配っている。
とのこと。保健室でピルが配布されているなんて?!そもそもピルという言葉、よほど生理痛が酷い女性は中学生、高校生から知っているかもしれませんが、私は大学に入るまで知りませんでした。避妊の手段はコンドームくらいかと思っていたのです。(皆さんはご存知でしたか?)だからもしレイプでもされた暁には、もう避妊のしようがないのではないか、と恐ろしく思ったこともありました。とにかくこのように、
フランスの女たちは、自分の体を自分でコントロールしているという意識を持っている。
そして、様々なムーブメントを経て
1975年1月、厚生大臣シモーヌ・ヴェイヌが、中絶を認める法を成立させる。自分の党の議員の罵声を浴びながら、野党の票に助けられての法案可決だった。シモーヌ・ヴェイヌは、その日、彼女を口汚く罵った議員の妻たちから、心からの謝罪と感謝の気持ちを受け取ったそうである。(中略)こうした経緯で勝ち取られた「中絶」は、フランスでは、はっきりと誰の意識の中でも「女性の権利」である。「産む産まないを決めるのは女性である」と、法律に書かれているし、常識としてそう思っているのである。
もう一つ、
こちらの記事からフランスの性教育を見てみましょう。筆者の高崎順子さんによると、フランスでは3歳から性に関する教育が始まるといいます。それは、フランスが、性教育を「国家政策のひとつ」と明言して、徹底したカリキュラムを提供しているからこそできることなのだそうです。(ご興味ある方はこちらから詳細をどうぞ)また、こうした性教育は満3歳から行われるんだそう。
授業が義務となっている小・中・高校の他、大学や専門学校、そして満3歳の年からほぼ全ての子どもが3年間通う公立幼稚園「保育学校」もその対象だ。
保育学校では「性に関する授業」はなく、もちろん生殖に関わることなど、年齢にそぐわない情報は与えない。が、「自分と他人の体を大切にすること」は、学校での生活のあらゆる時間に伝えられる。たとえばトイレの時間やプール遊びの際に、「男女には体の部位に違いがあること」「違いはあっても平等であること」「違う部分は体の大事な場所なので、水遊びの時も水着で守ること」「その部分を他人が見たり触ったりしてはいけないこと」などを教えるのだそうだ。
体の違いを理解する、大事にする。たったこれだけでも、きちんと大人から説明を受けるのと受けないのとでは大きな差ですよね。また、性教育はひとつの単独の教科として認識するのではなく、生命科学、倫理公民、地理歴史、国語など、横断的に取り上げられるように定められているとのこと。とても素晴らしいなと思いました。だって、性って何も性行為だけでなく、様々な観点があるから。生活全てに根付いているものだから。かつ、
「生徒が発言する対話形式」が指定され教員が一方向的に持論を展開するのは禁止されていることも、大きな違いだ。
たとえば生命科学では、生徒たちに現時点での生殖に関する知識を語らせ、そこから避妊や性病予防について情報を与えていく。倫理公民では性マイノリティー差別や性暴力に関する法の成り立ちを生徒に調べさせ、その是非を議論する。国語では「性」に関して知っている表現を生徒に列挙させたのち、その意味を教師とともに考える。中学・高校ではこうして「性に関する授業」が年間少なくとも3回は行われ、授業には外部の専門家を招くこともある。
んだそう。教員の裁量に任されている日本とは雲泥の差です。ただ、フランスも最初からあるいは文化的にこのような先進的な考えではなかったようです。
フランスの公教育で、「性に関する教育」が正式に組み込まれたのは1973年。それ以前からも生殖や性病予防に関する教育は行われていたが、社会の変化に従って変革・補完しつつ、現在の形になった。(中略)男女格差の是正は前フランソワ・オランド大統領、現エマニュエル・マクロン大統領とも任期中の主要ミッションとして掲げており、その実現のためには「性」の包括的で客観的な知識を、できるだけ早い時期から与えるべし、と、社会的合意が相成った。また昨年には小学校での性教育を再定義する大臣通達が出され、教育指針がさらに詳細に示されている。
アメリカも、フランスも、アップデートし続けているのですね。
4. オーストラリアの性教育
オーストラリアの性教育については、YouTuberゆうあ。 / YUAさんのお話を参考にさせていただきます。
小学3年生から性に関する授業が始まったというゆうあ。さん。最初は人間のどこに毛が生えるのかを考えてみよう、というもの。これはとても良いと思いました。だって高学年になってくるとそろそろ大事なところの毛が濃くなってきますもんね。私も当時ショック混じりの驚きだったのを覚えています。きっと生える前に「大事なところには濃い毛が生えてくる」と知っていたらもう少し冷静に、そして受け止められていただろうな、と。特に男子はすね毛とか、胸毛とか(小学生ではあまり生えないかな)、ヒゲとか、隠せない部分の毛が多いじゃないですか。そこってからかわれるポイントでもある。でも、からかうことじゃないんだよー!ってこのくらいの年から教わっていたら…。
そして小学6年生になると、大事なところに名前をつけるように言われるんだそう。これもいいなと思いました。男も女も、性器はとっても大切なもの。そこを愛するためには名前は有効なのでは、と。特に女性は自分の性器を気持ち悪いと思っている人が多いらしく、かつ大人も、男の子に対しては「おちんちんだよ」と小さい頃から口に出すのに対して女の子にヴァギナともおまんことも呼ばない、だからこそマイナスなイメージが強い、といった話を聞いたことがあります。(詳細はこちら。アメリカが舞台ですが、日本も似ているなと思います)
そしてそして中学生になると、コンドームの装着(野菜でつける練習をする)の他、なんと性交渉の動画を観たとのこと!これには衝撃でした。でももっとびっくりしたのが、視聴後、なぜか生徒が感動の拍手をしだしたというエピソードです。(その話だけで感動してしまった私)どんな動画だったのか、気になります。余談ですが、私は2019年の暮れ、病院で行われた両親学級に夫と参加した際、無修正の出産動画を観ました。あまりにも生々しく恐ろしくもなったのですが、気持ち悪いとか怖いとかよりも先に感動で涙が溢れました。そのくらい、命が誕生することが神秘的なものに感じたのです。ゆうあ。さんら学生のみなさんが当時なぜ拍手をしたのか真意は分かりかねますが、何かしら感じるところがあったのでしょう(適当ですみません)。
しかし高校から日本へ戻った彼は、あまりにも内容の薄い日本の性教育にいささか驚いたようです。それだけオーストラリアで知識を身につけていたらそりゃあそうですよね!
5. オランダの性教育
いつだったか、オランダは性教育が進んでいると耳にしたことがあります。かつ、オランダのカップルは男女ともにセックス に対して満足度が高い、とも。では、一体どんな性教育をしているのでしょうか。こちらの記事によると、
オランダの性教育は4歳からスタートします。オランダの初等教育は4歳から始まるところ、性行為の強制や同性愛嫌悪などを防ぐことを主な目的として、2012年に文部大臣が「初等教育以降の全ての学生は性教育を受けなければいけない」という命令を下したためです。
そして、
オランダで最も有名な性教育カリキュラムは「Kriebels in je buik(おなかの中のちょうちょたち)」と呼ばれるもの。このカリキュラムは4~6歳の子どもを対象としており、子どもたちが男性と女性の体の違いについて話し合い、生殖や自分の性的な好みや限度について学びます。6歳になると、愛についてや、「恋をするとどうなるのか」ということについて学び、中等教育に入るまでに性の多様性や性同一性、「性行為を行うか」を決定する時期、避妊の方法などを教えられます。また、「性役割のステレオタイプをどのようにして拒絶するか」「健康的な人間関係をどうやって保つか」といった訓練も一貫して行われる
とのこと。
このように低年齢から性教育を受けると逆に興味を持つのが早まり、教育上良くないのでは?という意見もあるかもしれません。その点に関してこちらの記事を拝見すると、
大胆な性教育を実施するからといって、子供たちは早熟になるわけではない。意外かもしれないが、オランダの少年少女の初体験はむしろ遅い。WHO(世界保健機構)が2016年に発表した、欧州および北米の40地域の15歳を対象とした調査によると、全体平均で女子17%、男子24%が(15歳の時点で)性交渉を済ませている。その一方、オランダは女子16%、男子15%といずれも平均を下回っているのだ。
とあり、また、
オランダのカップルは避妊もしっかりするので、10代の望まない妊娠も少ない。オランダ政府の統計機関「CBS」によると、中絶率は10代全体の0.7%。イギリスやエストニアなどは2%を超えているので、他のEU諸国と比べても低い。北欧の国の中には、スウェーデンのように10代女子の出産率は低くても、中絶率は高いという国もある。そうみると、オランダの性教育は成功していると言えるのではないだろうか。
と記載されています。記事の中で紹介されていたこちらの動画。
身体的に自分が不快だと思うことは、相手が大人であろうが子供であろうがしっかり断ること。それを練習させていてる風景がありました。「No」と言わせる練習、とても大切だと思います。それが望まない妊娠の少なさに影響しているのではないでしょうか。
また、
によると、
日本では、性教育をすれば、子どもの性に対する好奇心を刺激し性交渉年齢を低下させるという反対議論がよく出されるが、その根拠は必ずしも明確ではない。性への好奇心を子どもたちが抱くのは、性徴の変化や、メディア上に蔓延している、性にまつわる挑発的な情報の刺激によって避けられない成り行きだ。また、15歳人口の性交渉体験年齢の統計を見ると、性教育が伝統的に極めて先進的なオランダや北欧の子どもたちの性交渉経験年齢が他に比べて特に高いわけではないこともわかっている(WHO-Europe のHBSC 2013/2014調査によると、15歳児の性交渉体験率は、44地域平均女子17%男子24%に対して、オランダは女子16%男子15%といずれも平均を下回る)
と記載がありました。
アメリカやフランスが州ないし国単位でカリキュラムを策定しているのに対して、オランダでは教育の自由が保障されている為性教育の内容やタイミングは学校に委ねられているというオランダですが、
中等学校の生徒、主として12−16歳の生徒を対象に年1回ずつ性教育の出前授業を提供している Remedica と言う民間組織がある。生物やホームルームの時間を使い、学校教師に変わり、専門的に2時限続きの出前授業を行う(一人ひとりが声をあげて平和を創る メールマガジン「オルタ広場」より)
んだそうです。
6. フィンランドの性教育
こちらの記事によると、フィンランドでは5歳から性教育が始まるんだそう。オランダと同じように、
他の人に急にからだを触られたらどうしようか、ということをいっしょに考えます。自分のからだは自分のものだから、他の人が勝手に触っちゃいけないし、他の人のからだも勝手に触っちゃいけない。嫌だったら嫌って伝えようね、と。それでも聞いてもらえないときには、安心して伝えられる大人に相談しよう、ということを話していきます。それじゃ、誰かを好きだなって思ったとき、手を繋ぎたいなと思ったときには、どうしようか? そういうときも、おもちゃのときと同じで、ちゃんと相手に聞いて、いいよと言われてからじゃないとね、と理解を広げていく
のだそうです。そして、これは何も性に限ったことではないと言及しています。
おもちゃも性的同意の話も同じなのだ。性の話も実は日常の平凡なルールの延長線上にあり、「軽くならいい」「冗談ならいい」など、そこだけ特別なルールが適用されるわけではない。だからこそ、性の話だけを抜き取らないことも重要だし、こうやって日常に起こるプロセスを踏んで伝えることで、「性が特別なことではない」ことを自然と理解できるようになるのだ。
「幼児ぐらいの年齢から、自分と他者との境界線をはっきりさせながら、コミュニケーションや交渉のスキルを小さいうちから練習します。そうすることで、将来もっと大きな複雑な人間関係や出来事でも、対応できるようになるのです」(トンミ氏)
これこそが、幼児へのセクシュアリティ教育の根幹だ。
まさに。おっしゃる通りです。
日本はフィンランドのような幼児期のセクシュアリティ教育は組まれていない。教育が違う、性に対する価値観が違う、で流してしまうのではなく、どんな年齢からでも、自分の感情を掴み、伝え、聞き入れられる経験、それを積み重ねることに意味がある
7. ガーナの性教育
先日、Netflixで
という番組を観ました。ジャーナリストのクリスチャン・アマンブールさんが各国を回りながら恋愛とセックス事情を取材しています。ガーナの性教育、という観点ではなかったのですが、終盤にこんなナレーションがありました。
性について生物学的な話はするけど、性的関係の話はしない。だからギャップが生まれる。
これって、日本も似ているかも、と思いました。しかしガーナでは女性視点の性をもっと訴えていこうというドラマが放映されているんだとか。そのドラマに出演している二人の女優さんのコメントがこちら
セックス は女性の為のものだと伝えたい。世界中に伝えるべきよね。でも歴史的に伝えられてきたのは、セックス や快感は女性のものじゃないってこと。(クリスチャン:むしろ逆ね。快感を求める女性は悪として扱われる)そう。ドラマでは女性が楽しむ姿を描いている。だって自分の選択だもの。キリスト教が批判的思考を否定してきた影響で、原点を忘れてしまった。本来私たちは性的でパワフルな存在なのに
このドラマがどれだけ国民に支持されているのかは不明ですが、こういう視点で作品を作っている点は日本よりうんと先進的なのではないでしょうか。
8. 区政をきく(一般質問)の回答を読んでショック
さて、このテーマでブログを書こうと決めた時、区議会だよりが届きその中にこんな質問がありました。
(問)子供が性虐待に遭いながら気づかずにいる危険な状態がある。子供に関わる団体が実施する性教育を学ぶ機械の周知を求める。
なんともタイムリーな内容です。果たしてその回答は…
(答)学校や保育園・児童センターをはじめチラシの配布等を行なっている。
以上。
「は…??」と愕然としてしまった私。チラシ?一体誰がチラシなど読むのでしょう?そのチラシにはどんなことが書いてあるのでしょう?そもそも性教育って何ですか?性虐待ってどんなものですか?いろんな疑問が次から次へと出てきて、日々税金を払っている身としては何だか腹も立ってきました。こんな回答のために税金を払っているんじゃない!!と。
9. まとめ
以上、簡単ではありますが各国の性教育(ガーナは番外編ですが)を見てみました。
性に対する考え方やイメージは言うまでもなく宗教や歴史、文化そして時代が関係しているので、何が正しい正しくない、良い悪い、というのはその国や地域そして個人個人で大きく異なると思います。
でも、複数の性教育を鑑みると、性に向き合うということは自分や他人が(たとえ自分の子供であったとしても)一人の「個」であることを認め、意思を表明し、尊重することなんだなと思います。だからこそ、広範囲の性教育が必要だと。単なる生殖行為でもないし、リスクだけじゃない。そこには人権もあれば悦びもある。 性と向き合い考えることは、生きる力をつけることになるのではないでしょうか。
第2回は、性の悦びについて考察(?)してみたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!また次回、お会いしましょう。
参考文献
http://neutmagazine.com/sex-education-by-teens *1
https://www.jase.faje.or.jp/jigyo/journal/seikyoiku_journal_201806.pdf *2
モヤモヤするときの対処法
みなさんこんにちは、ひろみです。今日はモヤモヤした時、気持ちの整理がつかない時、私が行なっている有効だと思うことについて書かせていただきます。
検診帰りでモヤモヤ
今日は朝から検診でした。今日で39週と5日。予定日まであと2日。区が開催していたマタニティクラスで知り合ったママ友3人のうち2人は昨日出産!おめでたい!私もいよいよかな…と思いながら内診してもらいましたが、今日明日ということはないみたい。で、なんだかずっしり身体が重たくなってしまいました(笑)
この身体で約10ヶ月過ごすのは、やっぱり大変なことだなと思います。世の中のお母様方を本当に尊敬します。
マンションの構造上、毎日5階分(往復なんども)登っているし、なるべく歩いているし、食事だって気をつけている…。早く京都に住むご両親や実家や親戚、友人たちにに無事に産まれた報告をしたいなという私の焦りがストレスになったのか、今日は帰り道で体調が悪くなり、帰宅後そのままベッドに倒れ込んでしまいました。
生理前のPMSのように2日ほど前も気持ちがモヤモヤしていましたが、今日もそんな感じ。理由も分からず涙が出てくるし、夫に対してもモヤモヤ。何に対してもモヤモヤ。よくないです。
10冊近くあった日記を処分
そんな時、私は昔から日記をつけて「その気持ちを言葉にしてみる」ことで心を落ち着けてきました。(落ち着けられないときもたくさんあったけど笑)
結婚を機に、10冊近くあった日記を処分しました。
なぜかというと、昔の私は「自分のために吐露していた」からなのです。日記なんだからいいじゃないか、とも思いますが、読み返した時に感じるのは「ただのマスターベーションやないか」ということ。
自分を自分でかわいそうだと思って、辛いと思って、ただ言葉を並べるだけの日記は、いくら読み返しても前向きになることはありません。別に誰にも見せないのだからそのときのストレス発散になるだけでも良いではないか、と昔は思っていましたが、結婚してから考え方が変わりました。
まず第一に、読み返す相手はいるということ。日記であっても、「自分」は読み返しますし、もしかしたら家族の誰かにも見られてしまうかもしれない。そして第二に、そうだとしたらその読み手のことを考えて言葉をピックアップするべきなのではないか、と。すなわちそれは自分を救うことになるのだと。
ベートーベンも遺書から復活
小学5年生くらいの時、歴史上の人物を調べて感想を書きましょうという授業がありました。私が選んだのはベートーベン。ピアノを習っていたので身近な存在だったんです。確か読んだのはマンガで学ぼう!歴史みたいなカジュアルなものだったと記憶していますが、そこに書いてあったこと、今でもよく覚えています。
難聴で孤独だったベートーベンはあるとき自殺を考えて遺書を書きます。しかしその遺書は読み返すとなんだか自分を励ましている内容に思えた。結局自殺ではなくもう一度曲を書くことに決めた。そしてできた曲が「運命」…。
正直、どこまで本当かわかりませんが、当時10歳だった私はとても感動しました。そして今思うのです。自分を救えるのは自分しかいないのだ、と。もっとポジティブに言えば、自分は自分を救うことができるのです。
ブログと音声配信に委ねていること
時々、このベートーベンの話を思い出します。特に落ち込んだり元気の出ない時。そして私にとってこのブログと音声配信
は、救いの一種だなと感じるのです。
もちろん、何かを発信したくて話しているわけなのですが、マイクの向こう側で聞いてくださってる方を想像しながら話しているわけなのですが、結局のところ自分が一番癒されているんだなと感じます。
誰かに伝えようとするからこそ、ポジティブな言葉選びになりますし、優しい口調にもなる。前向きな考え方をしたいから、そういうトーンにもなる(たまにしんみりするときもあるかな?)。それは巡り巡って、私自身を癒している。そんな風に最近思うようになりました。
まずは自分を大切に
「自分のことを大切にできない人は他人なんか絶対に幸せにできない」という言葉を最近は特によく耳にするようになりましたが、本当にその通りだと思います。
日記にしても、ブログにしても、ポッドキャストにしても、仕事にしても、一番目にするのは耳にするのは自分。マスターベーションしてても意味がない。マスターベーションで癒せるのは、その瞬間の自分だけですからね。これはナレーションも同じ。
そうこう書いているうちに、当初のちーんとした気持ちはもうどこかへ行ってしまいました(笑)
みなさんは、気持ちがモヤモヤされたときどうしていますか?いろんな方法があって、自分にあった方法を習得するのがとても大事だなと思う今日この頃です。
不器用な私ですが、少しずつ成長していると信じたいです。いつも応援してくださっている皆様に改めて感謝の気持ちを込めて。
今夜は、さっき少し当たってしまった夫へのごめんねといつもの感謝を込めて美味しい夕飯を作りたいと思います!
それでは本日も最後までお読みいただきありがとうございました。また次回、お会いしましょう!
美容のお話#3 〜スキンケアとベースメイク〜
みなさんこんばんは、ひろみです。
今日は美容のお話です。第3回目となる今回は、抜本的にスキンケアとベースメイクを変えたところ、メキメキ肌の調子が良くなったお話です。
ここ3ヶ月くらいで一気に肌がきれいになった
— 酒匂ひろみ(ナレーター・司会) (@_aoioi) 2020年1月13日
👋やめたこと
クレンジング
乳液
ファンデーション
お酒
🤲はじめたこと
美容液
朝食
ハーブティ
色々あるけど一番良かったのは断酒ではないかと思っている
妊娠してから8ヶ月、一滴も飲まずにいたらようやく全部アルコール抜けたのかとても身体が軽い
Twitterにも書いた通り、一番効果があったのは断酒ではないかなと思っているのですが(笑)、それ以外にも変えたことがあるので書き留めておきます。どなたかのご参考になったら幸いです。
- 厚塗りだったが故に時間のかかっていたスキンケア
- 抜本的なスキンケア改革
- 初めての脱ファンデーション!
- ノーファンデで艶と時短が
- シンプルになったスキンケア
- 大切な効果は…
- 大事なことは、余計なことをしないこと
厚塗りだったが故に時間のかかっていたスキンケア
まずはこれまでの私の化粧ならびにスキンケアについて簡単にご紹介を。
朝:洗顔フォームで洗顔→化粧水→日焼け止め→下地→ファンデーション
夜:オイルクレンジング→洗顔→化粧水→乳液→クリーム(つけたりつけなかったり)
ファンデーションはパウダーで、1日に何度か化粧直しもしていました。つまりとっても厚塗り。だからクレンジングはしっかり落ちるものを。洗顔だって場合によっては2回3回としていました。スッキリしたいから。
でも病気と妊娠をきっかけにこれらをガラッと変えることになります。
抜本的なスキンケア改革
スキンケアの見直しは病気も大きなきっかけでしたが妊娠もかなり大きなものでした。妊娠してから3ヶ月くらいは赤みも増し、ホルモンバランスの関係なのかそれまで使っていた基礎化粧品もヒリヒリ痛む日も増えてきました。たまたまその時期に出会った美容家の知人(南川あおいさん)
の影響もあり、まずは洗顔を変えることにしました。
それまではクレンジングと洗顔とを分けて使っていた私。彼女の影響で、固形石鹸一つに頼ることにしたのです。それがこちら。
①アレッポ石鹸
これ1つでクレンジング・洗顔(全身!)できて、約2ヶ月ほど持ちます(夫と併用。夫は身体のみ使っています)。コスパが良すぎて感動です。
そして次に変えたのが、保湿。これは以前もブログでご紹介したことがありますが、
こちらの本から情報を得て、美容液を重視するようにしたのです。当初はやや高めなこちらを使っていたのですが、「あれ、使い続けてみるとだんだん効果を感じづらくなっている…?」と感じ2本使って止めました。(最初は見違えるようにツヤツヤになったのですが!)そしてコストも抑えたかったので次にトライしたのがこちら。
②メラノCC
実はこれ、数年前にも使ったことがあるのです。
当時アメリカ留学中だった私。慣れない環境のせいか、お水のせいか分からないのですが赤いポツポツが顔中にできてしまった時期がありました。その時、知人から勧められたこの美容液を使ってみたところさらに赤みが酷くなり、それ以来避けていた商品です。
ところが、妊娠してから別の美容家(2019年は美しい方にたくさんお会いした年でした…感謝!)から
「普段安価で売られているのは美容液成分の低いものなので、初めて成分濃度の高いものを取り入れると肌がびっくりして赤みが出ることがある」
とお聞きし、「あぁ、それで当時はさらに赤くなってしまったのか。使い続けてみれば良かった」と反省。再度この商品を試してみることにしたのです。改めて調べてみるとレビューも良いですし、何よりお値段がとても良心的。
あと変えたこととしては、化粧水。これまでは成分を重視してこちらを使っていましたが、お肌がいつもツヤツヤな美容師さんに秘訣を聞いたところ「化粧水を浴びるようにつける」とのことだったので、思い切り使えるコストのものに変更。
③肌ラボ極潤ヒアルロン酸
大学生時代に愛用していたのものに帰還しました。これなら気兼ねなく朝晩とパシャパシャ使えます。
初めての脱ファンデーション!
思い切って化粧も変えました。それまでは上記の通り、とにかく厚塗りだった私。紫外線から守るためよ…と言い訳していましたが、厚塗りって癖になると言うか、一度やるとそれ以上薄い肌を見せるのが怖くなってしまってなかなか変えられないものです。でも!またまた美容家さんにお会いして考え方を変えました。なんと彼女、ファンデーションをつけていないと言うではありませんか!そんなことってあるの?でも確かに彼女の肌は重々しくない…カメラを通しても透明感がある…とても納得しました。さらに私を納得させたのがこちらのYouTube。
Aimer DAIKANYAMA の方々がスキンケアやメイクについての考え方だったりコツを提供してくださっているのですが、そこでもファンデーションについて言及がありました。そして私は決めたのです。
「脱ファンデーションしよう!」
と。大学生以来ずっと愛用していたパウダーファンデーションと初めてのお別れでした。今までありがとう。
ノーファンデで艶と時短が
となるとこれまでの化粧品を一掃しなくてはなりません。自営&駆け出しの私は百貨店にいらっしゃる美容部員のみなさんに相談して購入なんて余裕はありません。なので駆けていったのは大好きなドラッグストア。一応調べたり直感だったりで揃えたのはこちら。
④エリクシール シュペリエル
これは「艶玉」ができる、と言う文言に惹かれて購入。買って良かった!です。
下地はこちら。
⑤KATE フェイス&ネックホワイター
これは雑誌で紹介されているのをみて購入。違和感なく白く仕上げてくれるのでおすすめです。すっぴん風メイク、という感じがすぐ出来上がります。脱ファンデーションと申し上げましたが、Aimer DAIKANYAMAでは「気になるところには少しだけリキッドファンデを」と解説していたのでこちらも購入。あとは念のためにパウダーも。
⑥オバジ Cリキッドファンデーション
⑦オバジ Cクリアフェイスパウダー
こちらは試供品が良く馴染んだので購入。でも次は別のやつを試したなと思っています!(悪くないのですが、もっと良いのがありそう)
シンプルになったスキンケア
という訳で、私の化粧ならびにスキンケアはとてもシンプルになりました。
【昔】
朝:洗顔フォームで洗顔→化粧水→日焼け止め→下地→ファンデーション
夜:オイルクレンジング→洗顔→化粧水→乳液→クリーム(つけたりつけなかったり)
だったのが、
【現在】
朝:①→③→②→④→⑤→ちょんちょんと⑦→(場合によってはパウダー)
夜:①→③→②→ヒアルロン酸保湿液/乳液(後半の保湿は研究中です)
になり、朝も夜も20分から10分程度の時短になりました。昔はクレンジングも洗顔も別で購入していましたし、化粧は顔全体に塗りたくっていたので費用もそれなりにかかっていましたが、現在はコスト4割減にはなっているのではないでしょうか。(ベースメイクはリキッドファンデなど顔全体に塗らないので消費量が半端なく減ったのもあります)
大切な効果は…
いくら時短になってもコストが抑えられても大事なのはその効果。一言でいうと「見違えるように肌が変わった!」です。
長年コンプレックスだった赤ら顔は今ではほとんど気にならなくなりました。メラノCCを使い始めた当初は肌が慣れていなかったせいか、昔のように赤みが強くなったように感じましたが、使い始めて2週間ほど経ってからスーッと馴染んでくれるようになりました。
また、アレッポの石鹸。これだけでクレンジング効果あるのかいな?と思われる方も少なくないと思いますが、とっても良く落ちます。気になる方は2回ほど洗顔されるのが良いと思います。全然つっぱらず、むしろ艶っとしてくれるので感激しました。
ただ、こちらも使い始めた当初は「なんか泡立ちにくいし良い匂いしないし、大丈夫かな?」と不安に思っていましたが、使い続けてこれは3週間くらい経ってから「あれ!肌が変わった!!」と実感しました。そうそう、とても泡立ちにくいので泡立ちネットも合わせて購入することをオススメします。
化粧に至っては、抜本的に変えて良かった、の一言です。何より肌が軽いし、艶ができて健康そうに見えます。笑うのが楽しい!化粧ってすごい!と初めて思いました。これを機に、プロに習いに行きたい欲も出て、出産後落ち着いたらやりたいことリストに入っています。
大事なことは、余計なことをしないこと
この半年くらい、出会った方や見た動画の影響でこれまでの肌への向き合い方を変えることができました。そして思うのは、「極力、時間をかけずに余計なことをしないのが良い」ということ。(煮魚と同じ…!)
ご紹介したグッズを見ると手をかけているように見えますが、昔の私と比べるととてもシンプルになっているのです。パウダーファンデーションで蓋をし続けていた約12年間、それを毎日ゴシゴシ洗っていた12年間、肌はとても辛かっただろうな…と。
大事なことは余計なことをなるべくしない。
これはナレーションも同じくです。本当になんでも繋がっているなぁと思います。きっと子育ても同じなんだろうな。。(笑)
と、いつになく長くなってしまいましたが、今日は外側のケアについて私が効果を感じたことを書かせていただきました。次回は食事について書きたいと思います。
それでは今日も最後までお読みいただきありがとうございました!また次回、お会いしましょう。
辞める勇気とあきらめる勇気
みなさんこんにちは、ひろみです。1月も最終日ですね。月末が金曜日!今夜はプハ〜ッとされる方が多いのではないでしょうか?(いいなぁ…!)
さて、今日は「辞める勇気とあきらめる勇気」について。
継続案件をお断りしたら…
先日私は、昨年から引き受けていたとあるお仕事の更新を辞退しました。
とても誠実なクライアントさんで、お仕事もやりやすかったのですがなんとなく次のステージへ行きたいなと言う気持ちが強くなり、お断りに至りました。
もう間も無く出産だし、しばらくは育児に専念かな…いいタイミングかな、と思っていた矢先、立て続けに3件も新規のご依頼をいただきました。一度に3件いただいたのは開業以来初めてだったので、とても驚きそして嬉しかったです。
そしてふと思ったこと。
何かを捨てると新しい物を手に入れる
こう言った言葉はみなさんもどこかで耳にされたことがあるのではないかと思いますが、まさにその通りだなと実感しました。
ただし。
これには条件があると思うのです。やみくもに何かを辞めればいいと言うわけでなく、きちんとある方向に向かって「努力」し、それを「継続」していること。すなわち次のステージへ行く「準備」ができていること。
これらが揃っていれば、何かを手放した瞬間その隙間にスルッと新しいものが入ってくるのではないでしょうか。
と、言うのも、1年前開業したとき私は何もまだ準備が整っていなかったんです。
心身ともにバランスを崩し、会社員を辞め、考え方を矯正している最中、思い切って開業届を出しに行った。ただそれだけでした。ナレーターとしての自覚も今思うとただ気合いしかなかったし、練習だって今と比べればお子様レベル。とっても恥ずかしくなってしまいます。第一歩を踏み出したことで、少しずつ自覚が芽生え、失敗もして、脱サラしたことで「自分」がどう感じてどう考えているのかが分かってきた。
そこから少しずつ少しずつ、仕事や人との出会いが変わってきたように思います。
あきらめたら見えてきたこと
もう一つ、大きなきっかけだったのは妊娠でした。
つわりによって想像以上に身体が言うことを聞かない、全く動けない、水すら受け付けない。こんなに辛い状態が3ヶ月近くも続くなんて思ってもいなかったので当初は戸惑いました。約束したランチもいけない、打ち合わせにも顔を出せない、仕事は断るしかない。仕事どころか、人にすらまともに会えない。ましてや練習なんて全然できない。焦る毎日でした。でもあきらめるしかない。だって身体が言うことをきかないのですから。
一方で、不思議なことに、這いつくばって通っていたレッスンにて師匠には反比例のごとく「良い」評価をされることが増えていったのです。何が違うのだろう…
と当時は分かりませんでしたが今なら分かります。
練習内容ではなく、私生活が変わった
のだと。
それまで私はせっかちで慌てん坊で、なんでも全力投球で失敗もよくするし頭に血が上りやすくかっかしやすく、みんなに良い顔しようとして疲れるし、落ち込むし、ストレス発散は不健全な方法だったし、不器用でダサいの塊でした。
それが、会いたい人にだけ会う、自分を第一に考える、好きなことをする時間を増やす、自然を見る、ささやかな感動をたくさん集める、嘘をつかない、丁寧に食事をする
ありがとう、ごめんね、いただきます、ごちそうさま、おかげさまで、行ってきます、おかえり、おやすみなさい。そんな言葉を大切にする。
こんな、当たり前でしょ!と思われるかもしれないことをいつのまにか今までどこかに置いてけぼりにしていたことに30歳になってから、悪阻をきっかけに気がついたのです。
いい意味で「諦めた」ことにより、見えてきたことそして変わったこと。これはとても大きな変化でした。
一見ネガティブに聞こえるけれど
「辞める」とか「あきらめる」って、一見ネガティブに聞こえますが、そんなことないんだなぁと学んだこの1年でした。むしろ今ある状態やこれまでの自分の考え方に固執したり、優先順位を履き違えてしまったりしていることで失っていることも多かった、と反省する次第です。
退職と開業、そして妊娠が私に大きなきっかけをくれました。もっと言うとその前に結婚ですね。結婚して当初は試練が多く悩んだ時期もあったけど、今思うと全てが好転してくれて、あぁ、あの結婚からだんだん周りの環境が変わってきたなと実感します。
変わり行く私を見守り応援してくれる夫や家族、友人。そして音声配信などを聴いてくださったりメッセージを送ってくださったり応援してくださるみなさま。改めて感謝をお伝えさせてください。
これからも、精進していきます🌿
それでは今日も良い一日を。また次回、お会いしましょう!
「水曜日のエミリア」
みなさんこんばんは、ひろみです。明日は関東でも大雪になるとか、なんだか一段と寒い夜に感じます。(いま窓のそばにいるせいもあるけど…)みなさまいかがお過ごしでしょうか。
さて、本日はおすすめの映画をご紹介します。
ついさっきお風呂で観終わったのですが、その名も「水曜日のエミリア」。
大好きなナタリーポートマン主演の作品です。
彼女の作品は目に止まれば必ずと言っていいほど観るので、こちらも時間があるときにとウォッチリストに入れていました。ただ、なんとなくポップなポスター(古い?)に「今は気分じゃないかなぁ」と1年くらいずっと避けていたのであります。ついこの間映画スイッチが入り、その勢いでやっとポチ。
もう、号泣しました。
産まれたばかりの子供を失い、義息子ともうまく行かず、大切な夫にも当たり散らし家族がバラバラ。エミリア、夫、息子…それぞれの視点で観れてすごく良かった。しんみりしてない感じも良い。だけど後半は涙がエンドレス。#amazonprime で観た映画 https://t.co/VrAQaPflmy
— 酒匂ひろみ(ナレーター・司会) (@_aoioi) 2020年1月27日
感動冷めやらぬうちにここに感想を書きたいと思います。ちょっとネタバレになるのでご容赦くださいませ。
- 産まれたばかりの娘の死から立ち直れないエミリア
- 懐かない義息子
- 優しい旦那も人間
- 「私は悪くない」「いつものようにな」
- 立ち直れないのではなく、立ち直らない
- 息子の描いた家族の絵
- 家族になること、そして気がつくこと
産まれたばかりの娘の死から立ち直れないエミリア
職場で知り合い、不倫関係から子供を授かったことをきっかけに結婚したエミリア。しかしSIDS(乳児突然死症候群)によって生後数日の娘を失ってしまいます。娘はただいなくなったのだ、と淡々と現実受け入れようとしているエミリア。でも本当は現実に何も向き合っていなかった…。というのがこの映画のポイントなのかなと観ていて思いましたが、実際に生後間もない我が子が何の予兆もなく死んでしまったら平静にいられるでしょうか。私だったら無理だと思います。何もなくなってしまったような、空っぽな状態で、現実を受け入れられなくてどこかに飛んで行ってしまうのではないだろうか。ましてや不倫中にできた子。愛し合って授かったと言っても世間の目から見ると略奪愛。それにより罰を受けたのではないか?と自分を責めたり、たとえそうでなかったとしても「自分の母乳がよく無かったのではないか」「着せた服が薄すぎたのか?」「抱っこに問題があったのではないか」ととにかく自分を責めまくると思うのです。そう考えるともう胸が苦しくって、今お腹に赤ちゃんがいることもあって冒頭から心がぎゅっとなりました。(後半は崩壊してしまいます)そんなエミリアと義息子、夫、前妻、エミリアの両親との関係が描かれている作品です。
懐かない義息子
娘を失ったエミリアに対し、わざとなのか何も考えずになのかは視聴者に委ねられますが、「ベビーグッズをEbayで売ろう。だって不用品でしょ」とか、心無いこと(にエミリアには聞こえてしまう)を言う8歳の義息子。仲良くしようとしてもちょっとしたアクシデントで仲良くなりきらない2人。事あるごとにエミリアの対応を前妻に報告する義息子。それによって罵声を浴びせられるエミリア。最初は「可愛くないこという子供だな」と思っていていた私でしたが、よく考えると彼はまだ8歳。そして親は離婚。妹は天国へ。きっと彼の心も想像以上に複雑で悲しみがいっぱいなはず。彼の言葉をどうやって受け取るか。それを考えさせられました。
優しい旦那も人間
弁護士なだけあったスマートでジェントルな夫。しかし、いつまでも態度を改めない妻・エミリアや、前妻との関係に疲れ果てついに彼もキレてしまいます。ちょうど今日
を読んだばかりだったので、ここに出てくる旦那さんにリンクしてしましました。夫も一人の人間。幡野さんのお言葉を拝借すると、心が無限に広いのではなく、自らを削っているのだ。と。そして私の夫のことも思いました。一昨年、喧嘩ばかりして(私が一方的に彼を責めていた)とても辛い思いをさせていたこと。あのとき少しでも私の「はっ。これは私の問題だ。私が変わらなければならない。彼を潰してしまう」と言う気づきが遅ければきっと…と思うとゾッとします。苦笑
「私は悪くない」「いつものようにな」
映画の後半、エミリアが言います。「私は悪くない」。そしてつかさず優しい夫が「いつものようにね」と返す。ここに、映画の本質があると思いました。どんなに悲しいことがあったって、辛いことがあったって、結果を変えることも振り返ってやり直すこともできない。誰かを傷つけてもやり直すことはできない。失ったものは取り返すことができない。「私は悪くない」の一言は何も生み出さない。ふと、自分のことも顧みたシーンでした。そしてついに堪忍の緒が切れた夫。エミリアの謝罪を拒否し、ベビーグッズをエミリアに言われた通り、フリーマーケットサイトに出品します。(最終的には元に戻ったように思いますが、そこも視聴者の想像に委ねられているように思います)そこまで彼を追い詰めたエミリア。なんだか自分のことを振り返らざるを得ませんでした…。
立ち直れないのではなく、立ち直らない
確かに、エミリアはとても深い傷を背負っています。10ヶ月間大切に育てて、死ぬ思いで産んだ我が子がたった3日で旅たってしまうなんて、とてもじゃないけど受け入れられません。でもそれは、産んだ母親がいちばん悲しいんだ、私が一番辛いんだ、と思ったら違うのです。夫も悲しい。息子も悲しい。両親も悲しい。悲しみは、比べることはできません。比べるものでもありません。だからこそ、お互いがお互いを支えなくては慈しんで尊重して生きていかなくてはならない。そんなことをこの映画を通して感じました。エミリアが立ち直れないのは、彼女自身が立ち直ろうとしていないからなのです。
息子の描いた家族の絵
映画の中盤と最後に、息子が学校で描いた「家族の絵」が登場します。中盤では一瞬しか映らないのですが、それを観た前妻が怒って破ってしまうシーンが。と聞くとなんだかエミリアとパパ、自分の幸せそうな絵が描いてあるのかなと思いますが、実は絵にはパパと自分、ママが手を繋いでおり、空に天使になった妹、その隣に怒っているのかな?と言う雰囲気のエミリアが。これだけ見ると、息子はエミリアのことが嫌いなのでは…と思わせるのですが(私はそう感じました)、夫もエミリアも素敵な絵だとほめます。観終わったあと考えました。きっと彼にとって、パパはエミリアの夫、ママは前妻、妹は天使、エミリアは妹のママ。そのままの現実を受け入れていたのだと。無理やり「お父さんの新しいお母さんだから僕のママだ」と解釈することもせず、一人の人間として受け入れていたのではないか、と。最後のシーンであります。「イザベル(亡くなったエミリアの妹)は僕の妹で、エミリアは僕の妹のママだから家族でしょう?」と。彼にとっての家族。8歳の男との子にとっての家族とは一体どんなものだったのでしょうか。そもそも、家族ってなんなのでしょうか?
家族になること、そして気がつくこと
この映画を通して感じたことは主に2つ。家族「である」のではなく、家族「になる」ことがどれだけ大変で愛おしいものなのかと言うこと。籍を入れたからって家族になるわけじゃない。子供が産まれたからって家族になれるわけじゃない。ましてやその子供が死んでしまったら?
そして「気がつくこと」。なんでもそうだと思うのですが、何かあった時「はっ、これは自分へのメッセージなのかもしれない」と捉えることができるかどうか。悲しみに一通り暮れた後、周りを見られるかどうか。特に大切な人の表情やコンディションに目を向けられるかどうか。その気づきが、大切なのだと。当たり前のことかもしれないけれど、誰だって悲しい辛いことがあるとエミリアのように自暴自棄になったり、優しくしてくれる人を傷つけたりしてしまいます。一度や二度は仕方のないことだと思うんです。お互い様だから。でも「親しき仲にも礼儀あり」ではありませんが、どこかで「はっ」と気が付いて謝って改めることが必要。悲しみも苦しみも、一人で乗り越えられません。一緒に支え合って励ましあって時間と共に癒えていくものだと思います。だからこそ、手を差し伸べてくれる人がいるうちに、最低限立ち直らなくてはいけない。そこまでの力は、人間にはあるように思います。
と、私自身、育ててくれた家族そして夫との関係を省みる良い時間になりました。いつも温かく見守ってくれる家族、そして支えてくれる夫、ありがとう。
なんとなく映画の評価は低めですが、私は好きな作品でした!気になる方はぜひここからチェックしてみてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。また次回、お会いしましょう!